その次が、いわゆる朱印船貿易です。カンボジアやタイ、ベトナムなどと交易をしていますが、その発端となった目的は、意外なことに伽羅の入手でした。

磯田:香木の伽羅ですか?

笠谷:そう。ものすごく高価なものです。これは家康の趣味なんです。家康はこれをアロマとして利用した。アロマで癒されたわけです。

磯田:家康は薬品フェチといえるぐらい、薬にこだわっていましたから。

笠谷:一日の疲れを伽羅の香りで癒す。そんなことを家康はすでにしていたんです。しかし、せっかく朱印船を派遣して伽羅の買い付けだけではもったいないということで、包括的な貿易に発展するわけです。

そして、家康はスペイン交易を開き、さらにオランダとイギリスが加わる。結局、こうした交易相手を全部足すと、10カ国くらいになってしまう。幕末の、いわゆる開国と言われる安政五カ国条約ですら相手は5カ国ですから、家康は前近代で最高の外交官といっていい。しかも、これだけ広い国際関係を築きながら、そこには侵略や戦争のにおいがまったくしない。純然たる交易の関係、つまり「ウィンウィン」の関係であるということは、特に評価すべきだと思います。

磯田:私の同僚のフレデリック・クレインスさんという方が、世界各地に残る史料を使って三浦按針の研究をしているのですが、それによると、家康は北極に向かって北に船を進めれば、最短でヨーロッパに行けるのではないかと考えていたといいます。頭のなかに地球儀を置いて考えることができたということでしょう。

笠谷:それは非常に面白いですね。

磯田:メキシコ産の鉛を使った鉛筆をもち、眼鏡をかけて、家康は完全に西洋趣味です。

笠谷:スペイン国王フェリペ三世からもらった洋時計も印象的です。

(インタビュー構成/安田清人[三猿舎])

週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』から抜粋

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