1983年、オールスターゲーム初のDH(指名打者)制で本塁打を放った門田博光さん
1983年、オールスターゲーム初のDH(指名打者)制で本塁打を放った門田博光さん

 野村さんが南海の監督時代を振り返って、門田さんと江本さん、江夏さんの3人を「南海3悪人」と称していた。それについて門田さんは、

「僕は野球ばっかりで、野村さんとか他の選手とも飲みに行くこともないし、わが道を行くというタイプ。野村さんから何か指示があっても、納得しないと、『なんですかね』という顔をしていたからね。野村さんからすると扱いにくい選手だったのかな」

 と、ビールを片手に笑っていた。

 江本さんにも「南海3悪人」の話を聞いてみた。

「僕も3悪人の1人ですが、あれは野村さん一流の『こういうわがままそうな選手でも俺は操ってきた』という自慢にするたとえですよ。悪人は僕1人じゃないですか(笑)。確かに門田さんも偏屈、変わり者と言われてはいました。南海時代は毎晩、選手たちは酒盛りでしたが、今振り返っても、一回も門田さんと飲みに行った記憶はないですね」

 そして、門田さんの打撃について、こう話した。

「今のホームランバッターは筋肉マンタイプが多いじゃないですか。門田さんは、太っていて独特の体の柔らかさとスイングの速さがホームランにつながっていった。野村さんが監督とキャッチャー、4番バッターの兼任ができたのも、門田さんというもう一人の主砲がいたからです。マウンドで投げていてもそのうち門田さんが打ってくれ、点が入るだろうと本当に任せられるそういうバッターでした」

 江本さんも、ここ数年は、コロナ禍もあって疎遠になっていたという。

 門田さんほどの実績があれば、コーチや監督もできたろうし、実際にいくつか依頼もあったようだが、持病の糖尿病や足が悪いこともあり、就任することはなかった。

 10年ほど前に、奈良で偶然、門田さんに会ったことがある。

 現役時代とはうってかわり、すっかりやせて小さくなってしまった印象だった。立ち話だったが、

「ビールばっかり飲んで、体を壊してしまった。飲み始めたら止まらない。あれっとテーブルをみたら、楽に10缶くらいあけてしまっていることもある。酒には気を付けないと」

 と語っていた。

 門田さんが指導者となれば、どんなチームができていたろうか。まだ74歳の死が残念でならない。合掌。

(AERA dot.編集部 今西憲之)

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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