締め切り直前には夜遅くまで待ち続け、不審者に間違われもしたが、やはり門田さんに会うことはできなかった。名刺をポストに入れ、とぼとぼと深夜の電車で帰った。
当時は携帯電話などない時代だ。帰る途中、週刊朝日の編集部から電話があり、
「門田いう人から会社に電話があったで。すぐに連絡ほしいと」
と告げられた。慌てて公衆電話を探し、伝言にあった電話番号にかけると、門田さん本人がすぐに受話器をとってくれた。
「なんか、遅くまで待ってくれて悪いね。今は話せないんや。いろいろ事情があってな」
やっと門田さんの声が聞けた。ダイレクトな肉声なので、編集部に「言い訳」ができるなと、ほっとした。
「夜遅くまで張り込んだりして申し訳ないです。ありがとうございます」
と礼を言い、
「じゃあなぁ」
と門田さんが電話を終える直前、私はどうしてもひとつ聞きたいことを思い出した。
この年9月8日、大阪球場での近鉄戦で、門田さんは40歳の選手としては当時の世界記録となる35号ホームランを打ったが、私はその試合を生で見ていた。
そのホームランは門田さんの力強さ、豪快さより、うまくバットをボールに乗せ、力と技を合わせてスタンドまで運んだような一撃だった。それについて聞きたかった。
私がその話をすると、
「年取ったら、力にテクニック、技ですよ。若い人のパワーには勝てないから、テクニックね。そして……」
そこから門田さんのバッティング論が始まった。打席での構える位置、ピッチャーのクセや配球の読みなどを、延々と語ってくれた。途中何度も電話ボックス内の自販機でテレホンカードを買い、追加しながら話を聞いた。
「バッティングの話ならいつでも電話してよ。こんな話はいい記事にならないかもしれないが、何時間でも話すから」
私のような駆け出し記者に、門田さんは最後まで丁寧に話をしてくれた。
その後、オリックスに移籍して活躍し、さらにダイエーに移って現役を終えた。引退後には何度か長時間、話を聞く機会があった。そして、門田さんは本当に野球が大好きで、24時間、野球のことばかり考えている人だとわかった。