22年11月には「ロシアはいつもウクライナ国民に温かく接してきたし、今もそれは変わらない」と述べた。耳を疑う言葉だが、これも「殴りたくて殴っているわけじゃない。君を正しい道に戻したいという善意なんだ」という理屈だと思えば、言わんとすることが理解できる。
DVの比喩を続けるなら、問題の本質は、まさにプーチン氏がウクライナ問題を「ドメスティック・マター(国内問題)」として考えているところにある。
実は、こうした考えはプーチン氏だけのものではない。戦争への賛否はともかく、ウクライナの首都キーウに歴史的な源流を持ち、言語も文化も近い関係にある東スラブの3カ国がバラバラになるのは耐えられないという感覚自体は、ロシア国内で広く共有されている。欧州への接近を急ぐウクライナへの共感がロシアで広がりに欠ける理由の一つだろう。
プーチン氏の大きな誤りは、ウクライナ国民の多くも、本音ではロシアから離れたくないはずだと考えたことにある。
プーチン氏は開戦を宣言した2月24日の演説で、ウクライナ兵に武器を置くよう求め、その翌日には政権打倒まで呼びかけた。ロシアに逆らうゼレンスキー大統領はウクライナ国民から嫌われており、自分が呼びかければウクライナ軍は反乱を起こし、ウクライナ国民はロシア軍を解放者として歓迎するだろう。そう信じていたのではないだろうか。
しかし、プーチン氏が思い描いた「ロシアとの一体化を望むウクライナ」は幻想に過ぎなかった。ウクライナの中では「親ロ的」とされ、ロシア語が日常的に使われている東部や南部でも、ロシア軍は激しい抵抗に直面した。
《朝日新聞による1年余のウクライナ取材の集大成となる新刊『検証 ウクライナ侵攻10の焦点』では、プーチン氏の思惑のほか、兵士の肉声や虐殺の全容などを詳述。10の角度から侵攻の実態を浮き彫りにしている》