ハワイに行くときは家族だけで行くのが基本だけど、WARの社員、選手たちと30人くらいで行ったこともある。当時、俺が退団した後の全日本プロレスの羽振りがよくなって、社員旅行で毎年ハワイに行っていたそうだ。それを聞いて俺も「全日本に負けていられない!」とWARの選手を連れてハワイへ社員旅行だ。みんなでワイキキのビーチコマーホテルに泊まって、小遣いを渡して遊ばせたりね。女房ともずっと後々「すごい出費だったね、あれは」と言うほど。たしか500~600万円くらい使ったよ!

 最後にハワイに行ったのは2017年、娘の紋奈が結婚して新婚旅行で一緒に行ったとき。そこで紋奈と旦那が喧嘩しちゃって。その様子を距離を置いて眺めていたらまき代が来て「モメているからなだめに行こう」って言うから、2人を呼んで「お前ら新婚旅行でハワイまで来てなにしてんだ!」と説教をしたことを覚えている。その後は何事もなかったから、あの説教でちゃんと仲直りできたんだと思うよ(笑)。

 なんだかんだで、ハワイに行ったら、いい家具が置いてあるホテルのロビーでのんびりしているのが一番優雅な感じがするね。そんな優雅な自分に酔うのが好きで、行くたびにホテルのグレードを上げていったり、滞在期間が長くなったりして「俺もここまで稼げるようになったか」と自惚れていたもんだ(笑)。

 俺がそうやって優雅なひとときを過ごしている間、まき代はショッピング。といっても、自分のものじゃなくて俺の服や靴を買いに行ってくれるんだ。日本だとグッチやヴィトンの靴はサイズが限られているけど、向こうは大きいサイズがたくさんあるからね。いま、10足くらいある靴は全部ハワイで買ったものだ。思い出だけでなく、買ったものが長持ちしていつまでも使えるというのもいいね。

 こうして振り返ると家族でハワイに行ったことを懐かしく思うけど、今は行きたいと思わないんだ。行ったら亡くなった女房との楽しかったことをたくさん思い出しちゃうからね……。なんかしんみりしちゃったけど、やっぱりハワイは最高、いいところだよ!

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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