(C)Seiichi Nomura
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■男性誌での活躍の原点も

 野村さんが男性誌で仕事を始めたのは28歳のとき。集英社の「週刊プレイボーイ」の撮影をきっかけに「GORO」「平凡パンチ」「週刊サンケイ」などの表紙を撮るようになった。さらに「週刊少年マガジン」「週刊ヤングマガジン」の表紙のほか、巻頭グラビアの連載を担当した。

「バーンって、爆発したんですよ。もうすごかったです。『11PM』(イレブン・ピーエム)にも出るしさ。破竹の勢いでいろいろな仕事が広がっていった」

 男性誌でも活躍するようになった理由を、野村さんはこう説明する。

「当時の男性誌には女優や歌手、アイドルを『女性誌的』に写す人がいなかった、ということでしょうね。要するに女性の肌を奇麗に撮る、ということがなかった。俺は女性誌をやっていたころから肌の出し方がめちゃくちゃうまかったんですよ」

 その原点も、あの「若い女性」だという。

「『若い女性』の15ページを全部撮るようになったとき、副編集長から美容のページ、つまりスタジオで撮れるか、って聞かれたんです。で、撮れます、と答えた。そこから新たなチャレンジが始まった」

 実は当時、野村さんにはスタジオ撮影の経験がなかった。「ライティングなんてまったくわからない。知らないけれど、俺は撮れるんだと。女性の肌を奇麗に撮るためにもう必死に努力しなければならないんだと」。また自分に言い聞かせた。

「ライティングも、撮り方もどんどん独学で覚えた。それが全部、栄養になって、27歳の終わりには講談社の女性誌の仕事はほとんどするようになったんです」

(C)Seiichi Nomura
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■トイレにこもって考えた

 そこで、野村さんは、こう漏らした。

「カメラマンとしてよくここまでって、自分で言うのは変だけど、成功したのは、コンプレックスの塊だったから、って気がするんです」

 それはどういうことなのか?

「自分でもよく言っているんだけど、俺は本当に5等身だと。足が短いし、頭でっかちだし、ずんぐりしている。でも、そのコンプレックスがこれまでの写真をつくり出してきたと思う。要するにね、誰でもかっこよくなりたいんですよ。鼻を高くしてもらいたいとか、肌を奇麗にしてほしいとか。そこで何をするかっていうと、ライティングやレンズの使い方なんです。それを必死に試行錯誤した。ずっと自宅のトイレにこもりながら考えたりもした」

 さらに、こうも言う。

「人間でも植物でも、輝いている。輝いて見えるっていうのは、それを見つける目があるから。道端の植物にもパッと、心引かれる。そこに何か感じる。感じるものに対して目を向けていかなければ、やっぱりいい写真は撮れないと思うんです。かっこよく言っているけれど、本当にそうなんです」

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】野村誠一写真展「A Half Century──The World is Filled with Splendid Things.」
ライカギャラリー東京およびライカプロフェッショナルストア東京 3月3日~5月20日
ライカギャラリー京都 3月4日~5月20日