(C)Seiichi Nomura
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■「これは、すげえな」

 住宅の撮影に見切りをつけた野村さんは女性誌の仕事を探し始めた。

「まず、本屋に行くじゃない。そこでいろいろな女性誌を見たんだけれど、どう考えても自分の写真はこんなレベルには到達していないな、と。だから、自分ができそうなところを探して、売り込みに行った」

 その一つが、冒頭に書いた「若い女性」だった。

「で、編集部に行ったら、いきなり15ページの仕事をくれたんです。これは、すげえな、と。どういう仕事かというと、原宿に行って、100人のヘアスタイルを撮ってこい、と。それは『若い女性』のなかで一番人気があるページだった」

 気をよくした野村さんが張り切って原宿に向かったのは言うまでもない。「もう、全部撮った。本が出るのは楽しみでね」。

 ところが、である。

「ページを開いたら、えっ、と。カメラマンが6人もいて、俺の名前は一番最後だった。で、俺が撮った写真はどこだろう、と探したら、小さいのが3カットくらいしかない。15ページもらえると思ったのに、それだけしか採用されなかった。編集部に次もあるのか、と聞くと、ある、と言う。ここでめげるわけにはいかなかった」

 野村さんは、このページを絶対に制覇しなければ、俺の明日はないんだ、と自分に言い聞かせた。

「それから毎月の戦いが始まったわけですよ。他の人が撮った写真を穴が開くほど見て、どんな子の、どんなヘアが採用されたのか、必死に研究した。それで、二つのことを肝に銘じた。やっぱり、いい女を探さなくちゃいけない。それから、写真を奇麗に撮らなければならない。あと、材料費は自分持ちだったから、少ないフィルムで効率よく撮るにはどうすればいいか、考えて原宿に立った。それで、1年くらいしたら、15ページ全部、自分が撮るようになったんですよ」

(C)Seiichi Nomura
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■1分で7ページ

 少ないカット数で的確に奇麗に撮る、という鍛錬は、その後の野村さんの撮影を支えていく。忙しい著名人がカメラの前に立つのは短い時間の場合が多いからだ。

 その極め付きが2007年、アカデミー賞ノミネート女優、菊地凛子の撮影だった。

「撮影を頼まれた小学館の月刊誌『Sabra』の担当者に、どれくらい時間がとれるの、って聞いたら、7ページで15分くらいだと言う。まあ、なんとかなるかな、と思って、現場に行ったんですよ。そうしたら、菊地さんって、すごく話題の人だから、取材が11社も来ていた。それで、撮影時間は1社1分だと言われた」

 話がまったく違うではないか。野村さんは「Sabra」の担当者に抗議した。しかし、まったく動じない。「野村さんなら撮れるでしょう。撮れなかったらページを空白で出すしかないです」と、平然と言われた。

「お前、いいかげんにしろよな、って。そのときは本気で言ったよ」

 しかし、野村さんはすぐに冷静になった。撮影の前、合同インタビューに潜り込み、「菊池さんのどっちの顔がいいのか」、観察した。さらに撮影の流れを頭の中でシミュレーションして、別室のアシスタントに伝令を出した。

「撮影は窓際を使って、背景紙を立ててアップを撮るから、その位置を確保しろ、と。それぞれ違うレンズをつけたカメラを3台用意してスタンバイしろ、と」

 テスト撮影が終わったところで、「じゃあ、入ります」と、本人がやって来た。

「1分です、よろしくお願いしますって言われた瞬間、よし、いい表情のアップをまず30秒撮ろう、と思った。それから、中くらいのアップを撮って、後は引いて、リラックスしたものを撮っていけば絶対にページができると思った」

「30秒です」。本当に時間を計られた。

「はい1分、時間です、って言われたとき、ああ撮れたな、と確信した。本当に人生で一番短い時間の撮影だったよ」

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