女性宮家の創設をめぐる議論が続いている。公務に励んだ黒田清子さんの姿勢から、「責任ある立場に就ける道を開く」という視点で制度の変革を考えた。AERA 2020年3月16日号の記事を紹介する。
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上皇后美智子さま(85)は、1969年夏、生まれて4カ月の紀宮清子さま、現在の黒田清子さん(50)について、こう語った。
「結婚までは皇族として生活させていただくのだから、それにこたえるような人になってほしいと思います」
皇室典範第12条にこうある。
「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」
紀宮さまは2005年、都庁職員の黒田慶樹さん(54)と婚姻、皇族の身分を離れた。現在40歳未満の皇族は7人いるが、悠仁さま以外はみな女性だ。6人の「皇族女子」に婚姻後もとどまってもらう。それが「女性宮家」ということになる。
紀宮さまと皇族女子と女性宮家。ここからそんなことを書いていく。
17年、上皇さま(86)の退位を決めた「皇室典範特例法」の付帯決議が、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」と「女性宮家の創設」を速やかに検討するよう政府に求めた。が、安倍政権のコアな支持層が「男系男子による継承」を強く望んでいるからだろう、スルーされている。
と、思っているのは私だけではなく、2月の衆院予算委員会で検討状況が問われた。菅義偉官房長官は有識者からの意見聴取をしていると述べ、4月の「立皇嗣の礼」を終えた後に「具体的に様々なことを進めていきたい」と答えた。
美智子さまは05年のお誕生日に、嫁ぐ紀宮さまのことをこう語った。「穏やかで、辛抱強く、何事も自分の責任において行い、人をそしることの少ない性格でした」(文書回答)
付け足させていただくなら、自分について誠実に語る皇族女子だった。「天皇家の長女」という立場から外国訪問のたびに記者会見をし、毎年のお誕生日には文書で質問に答えた。その言葉は『ひと日を重ねて』という本にまとめられ、05年に出版されている。この本を読むと、紀宮さまは美智子さまから多くのものを受け継いだとわかる。