そして、

「星野監督でよかったんだ。いつ怒鳴られるかという緊張感がないとダメなチーム。阪神は(その場の)空気で野球をやる球団なんです。彼らに対して私が何をしたのかと思うのだが……」

 01年暮れ、サッチー脱税事件と監督辞任。66歳での「落魄」。しかし、野村克也は健在だった。
 
■プライドとスタイル

 長嶋茂雄、王貞治が成績不振の末に退団しても、こんなことを言うだろうか。が、こう言わずにいられないから「野村」なのである。「野球に関しては誰よりもよく知っている」とのプライドを、今も持ち続けているに違いない。そして、阪神時代の一番の失敗を、

「選手を大人扱いしすぎたこと」

 だと言った。

 ……私は選手を誉めなかった。プロの選手だからだ。プロとは、監督が誰であれ、自分のために、プレーするものだ。だが阪神では、活躍を誉め、ミスを怒鳴る、高校野球のように指導すべきだった。彼らをプロの選手と考えたのがそもそも間違いだった……。

 真意は、こうだろう。

 私やあなたにとっても、これは古くて今日的なテーマだ。周囲を見渡せば、似た事例を、誰しも思い浮かべることができるはず。「あのヒトには、どう接したらいいのか」。悩むのは、部下も上司も同じだろう。

 そもそも「大人扱い」は「愚」なのか。そして「愚」だと気づいたら、彼は「修正」したのか。そうは思えない。「ID野球の知将」として生きてきた。本来は「情の人」だったとしても、それが美学であり、「球界に友人は一人もいない」と自嘲する誇りなのだ。

 そんな自分のプライドとスタイルに拘泥(こうでい)したことが、阪神での彼の失敗だったとも思える。

 南海での投手時代、野村とバッテリーを組んだ参院議員(当時)の江本孟紀さんによると、彼は「クセはあるが、24時間、野球のことを考えていれば楽しい人」で、いくら喧嘩をしても、野球のことで話しにいくと喜ぶという。
 
■「愛された男」と言える

 嫌みのひとつも言わないと、話が始まらない。しかし好きなテーマで近寄られると、滔々と知識と思いのたけを語る。いるでしょう、そういう人が。自分もそういえば……と思ったりもする。

「でも阪神の選手は、野村さんに何か言われると、プイッと横を向いてしまった」

 と江本さんはいう。

「基礎体力がない阪神の選手は開幕から2、3カ月で、すぐへばる。でも、背筋腹筋だ、千本ノックだ、と野村さんは言えなかった」

 新著は「サッチー本」の印象を与えるが、基本的には彼本人の「自叙伝」だ。「高卒、テスト生入団というコンプレックス」を延々と書きつづり、「なぜ自分は嫌われるのか」と自問する。苦労を語らずにはいられない人なのだ。

 就任当初、「野村フィーバー」に明け暮れた阪神時代を、

「自分の虚像が一人歩きしているようだった。今思えば、自分を過信していたのだろうか。名監督だ、知将だと持ち上げられ、いい気になっていたかもしれない」

 と振り返っている。(編集部・小北清人)

※AERA2002年6月3日号から抜粋