哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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先日、橋本治さんを「偲ぶ会」が東京で開かれた。糸井重里さん、養老孟司先生、高橋源一郎さん、関川夏央さんら、生前親交のあった多くの方が集まった。会場の片隅で、私は矢内賢二、裕子ご夫妻と鶴澤寛也さんとしばらく立ち話をした。
十数年前、不思議なご縁で、神戸女学院大学の学生たちを引き連れて、寛也さんの女流義太夫の公演のお手伝いに行ったことがあった。「アートマネジメント」という科目が始まり、その最終学期が「インターンシップ」という授業だった。
矢内さんに頼み込んで、学生たちのためにプログラムを考えてもらった。第一日は、橋本治さんが詞を書いた薩摩琵琶の公演を見て、それから晩御飯を食べながら、橋本さんにアートマネジメントの心得について学生たちにお話をして頂くという豪華な授業だった。そのとき橋本さんが学生たちにしてくれた話が忘れられない。
プロデューサーの仕事は何かという問いを立ててから橋本さんは、「それは現場に行ったときに床のごみを拾うことができる人だ」という独特の定義を下した。スタッフもキャストもみんな「自分のこと」で手一杯で、「全体」を見ることができない。だから、床のごみにも気がつかない。気がついても、それを片付けることが自分の仕事だとは思わない。誰かがやるだろうと思っている。でも、「誰かがやらなければいけないこと」だけれど「誰も自分の仕事だとは思っていないこと」が手つかずに残ったせいで、仕事が滞ったり、現場の雰囲気がとげとげしくなったり、もっと大きなトラブルを引き起こすことだってある。全体を見ている人だけがそれを未然に防ぐことができる。それがプロデューサーの仕事だよ、と橋本さんはにこにこ笑いながら学生たちに語り聞かせた。
学生たちは食い入るように橋本さんの話を聴いて、ノートを取っていた。二十歳くらいのときに橋本さんのような「ほんもの」からこういう話を直接聞くことができる学生たちはほんとうに幸運だなと横にいて思った。
橋本さんはその叡智を惜しみなく贈ってくれる人だった。偲ぶ会で、そのことを改めて思い出した。
※AERA 2020年2月17日号