松谷さんが自分の特性と向き合い、克服に挑むようになった背景には、ちょうどこの時期に発達障害の診断を受けたことも影響していた。
子どもの頃は周囲と同じようにできない自分を責めることしかできなかった。その後、何らかの障害の可能性を自覚するようになったが、発達障害の検査を受けて、もし違っていたら「単なる努力不足」ということになり、そうなるともう立ち直れない、という恐れもあった。だが、コンタクトレンズの仕事が定着し、気持ちに少しだけゆとりをもてるようになったことが、松谷さんの背中を後押しした。発達障害の本を読んで、「これは私のことだ」とあらためて確信し、初めて受診する気になったのだ。
診断がきっかけで、それまでの自分を許せるようになった、と松谷さんは言う。
「それまでは努力で直せる、直さないといけないと、ずっと思い込んでいたんです。それが、周囲と同じようにできない原因が障害にあるとわかり、そのことを受け入れた上でどう対処すればいいのかを考えるようになると、精神的にも安定し、落ち着いて対処できるようになりました」
発達障害の診断を受け、障害者手帳を取得したことは、雇用先のコンタクトレンズ店にも報告した。ただ、発達障害の特性を細かく伝えることはしていない。どうしても、努力不足の言い訳のように捉えられてしまう、という恐れがあるからだ。
「今も店内の接客中、パニックに陥りそうになることもあります。発達障害なので電話対応ができませんと言いたくなるのを我慢、パニックとストレスで泣き出したくなるのも我慢しています」(松谷さん)
診断を受けた後も、どこまでが障害のせいで、どこまでが自分のもともとのキャラクターに起因するのかという線引きは難しく、松谷さん自身、自分の能力の限界や可能性をどう見通せばいいのか、手探り状態にあるのも事実だという。
松谷さんの話を聞きながら、私(筆者)の頭の中では、DREAMS COME TRUEの「何度でも」の歌詞がリピートしていた。
♪何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ~
松谷さんはなぜ、何度も起き上がることができるのか。そのパワーの源泉はどこにあるのか。その点を尋ねると、松谷さんは「子ども時代のいじめですね」と即答した。
小中学校時代、いじめを受けても不登校はせず、登校の習慣だけは守り抜いた。なぜなら、と松谷さんはこう続けた。
「もっと(学校に)行きたくない明日があるかもしれない。だから、その明日のためにきょう頑張ってあげようって。もっとつらい日があるかもしれないのに、きょう耐えられなかったらどうすんのって。その経験があるから、社会に出てからも仕事を続けられてきたんだと思います」
松谷さんは、いじめを受けている人に、登校し続けるべきだ、と言いたいわけではない。むしろ逆だ。いじめを受けている人の対処法として、自分のケースは参考にならない、と考えている。それでも松谷さんは、自分の足跡を否定しようとは思っていない。
学校でいじめられるようになった6歳の頃から、松谷さんは誰も味方になってくれる人がいないんだったら、とりあえず自分は自分の味方でいよう、と誓ったという。
松谷さんの今の目標は、障害者雇用枠の正社員になること。ちらし配りの仕事で培った粘り強さが、これからの自分の支えになる、と信じている。
――このシリーズは日常で出会ったり、すれ違ったりしているかもしれない、さまざまな仕事と向き合う人たちの声に耳を傾けます。
(文/編集部・渡辺豪)
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