松谷リコさん(34)は地元の高校を卒業後、ゲームのプログラマーやCGデザイナーを養成する都内の専門学校に通った。
「私には普通の仕事はできない。手に職をつけて専門職に就くしかない」
小学校から高校まで学力、体力、人間関係で強い劣等感を抱き続けた松谷さんはこう考えるようになっていた。だが、それは「甘い考え」だった、と振り返る。
「アニメは好きでしたが、デザインや絵を描くのが特に好きなわけではなかったので、興味が続かないんです」
松谷さんは専門学校を卒業後、アニメ業界への就職を目指す。正社員、アルバイト採用枠を問わず50社以上に応募したが、書類選考をパスしたのは5社ほど。そのうち、アルバイトとして採用された都内のゲーム会社で働くことにした。
約20人の職場。携帯アプリのグラフィック作成を担当したが、1年8カ月で退職する。事業縮小に伴う解雇だった。
突然、役員に呼ばれ、「来月からもう来なくていい」と通告された。これからどうなるのかという不安で、松谷さんはその場で涙を止めることができなかった。が、受け入れるしかないとも悟っていた。
当時の記憶はほとんど残っていないが、仕事の成果が求められているクオリティーに達していないという自覚は常にあり、フルタイムの勤務時間中、居たたまれなくなる思いだった。
「よく1年8か月もいられたな、と今は思っています」(松谷さん)
社会人になって約1年後。松谷さんは一人暮らしを始めていた。ゴキブリを退治したり指定日にゴミを出したり、自炊ができるようになった。自立することで、これまでの自分を変えられるかもしれない、というかすかな期待もあった。
一方で、アルバイト先はいずれ解雇されるだろうと覚悟し、「解雇されれば引きこもるだけ」とひそかに腹をくくっていた。
都内の一人暮らしのアパートで松谷さんは「想定通り」引きこもった。2006年10月のことだ。
職を失った後も、松谷さんが実家に戻らなかったのには理由があった。
一人暮らしでお金がなくなれば、そのうち否が応でも引きこもりをやめなければならないタイミングがくる、と松谷さんは見通していた。引きこもりの出口もあらかじめ自分でセッティングしていたのだ。
貯金を切り崩す半年間の生活を経て、松谷さんは再始動する。最初は無理せず、週2日のペースで日雇いの仕事に就いた。ドラッグストアの品出し(商品補充)や倉庫でのペットボトルの箱詰め、製本作業などに従事した。