ほぼ絶対零度に近い温度の冷凍機の中に設置されたシカモアは、取り付けられた200本のワイヤーにマイクロ波を送り込んでコントロールするが、できることといえば、それぞれの値(0か1)を53個並べた列を作ることくらいである。簡単なことだが、その数は0から2の53乗までの約9千兆個と莫大だ。こういう「数」をランダムにどんどん作っていくその動作「ランダム量子回路サンプリング」を古典コンピューターで真似られるか(シミュレートできるか)が課題であった。
●スパコンが1万年かかる計算を200秒で解いた
量子力学に特有の干渉効果で、ランダムに数を作ってもある種の偏りが出るという。これをチェックすればシミュレートしているかどうかわかる、というわけだ。量子コンピューターの動作を真似る古典コンピューターとして、米テネシー州のオークリッジ国立研究所の「サミット(Summit)」というスーパーコンピューターを使った。9千個の処理装置と2万8千個のグラフィックプロセッサーを使った世界最高レベルのコンピューターだ。しかし、それでも複雑な量子コンピューターの計算をそのまま当てはめることは難しく、シカモアの性能をフルに使わずに計算させた結果も使い、サミットによる計算の結果を比較してみた。すると、シカモアが200秒でできた計算をするのにサミットでは1万年かかるだろうという結果が出た。これこそ、「量子超越の証拠」とマルティニスらグーグルチームは主張した。
この結果を受け、プレスキルはウェブサイト「ワイアード」のコラムで「グーグルによる実用的な量子コンピューターへの画期的出来事だ」と評価、「しかし、量子計算が本当に難しいことはこの仕事からもわかる」という。
しかし、この計算機に使えるプログラムはほとんど皆無で、当分、役に立つことはない。さらにこの成果が本当に量子超越を実現しているかどうかの判断は、すぐにはつかない。IBMの研究グループは「同様の古典コンピューターによるシミュレーションを違うプログラムでやったら2日半でできた」と、ブログで発表した。量子コンピューターに並ぶあるいは超える古典コンピューターのアルゴリズムがないという証拠はないのである。日本の量子計算理論研究者の中でも、53量子ビットの計算を実行したことは評価するものの、本当に量子超越の実現であったかということに疑問を投げかける声も聞こえる。
それにしても、グーグルチームの量子技術力にはなかなか追いつけるものではないかもしれない。日本の量子コンピューター開発は、グーグルやIBMの挑む「まっとうな路線」を必ずしも走っていないし、若手も育ちにくい状況だ。欧米と勝負できる厚い研究者層が求められる。(文中敬称略)(科学ジャーナリスト・内村直之)
※AERA 2019年11月25日号