経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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テクノ・ファシズム。ある議論の場でこの言葉が俎上に上った。何とも薄気味悪い言葉だ。背筋を脂汗っぽい冷や汗がダラリとつたった。
大手IT企業どもが、ビッグデータと称して溜め込んでいく個人情報の山。今をときめくフィンテック。「キャッシュレス化」の名の下に進む紙幣・硬貨の電子現金への切り替え。スーパー・コンビニの無人店舗で我々の買い物の中身を記録するセルフレジ。我々の日常の全てがテクノロジーの世界に吸い込まれていく。そこでは、誰が我々の何に関心を抱き、どうウォッチしているか解らない。どう利用しようとしているか解らない。
AIさんやロボットさんたちも恐い。彼らが全て権力の回し者と化したら、テクノ・ファシズムは究極の独裁体制の不動の番人と化してしまいそうである。
ロボットという名称の生みの親は、チェコ人文学者のカレル・チャペックだ。彼が書いたお芝居の中で、人間を過酷な労働から解放するために造られたロボットたちが、反乱を起こして人間を支配下におこうとする。いまや定番化したロボットもののストーリー・ラインだが、その生みの親もまた、チャペック先生なのである。
ロボットによる人間支配は恐い。だが、もっと恐いのは、ロボットは支配の手段に過ぎず、その背後に独裁者として君臨しようとする生身の人間が存在する場合だ。意のままに他者を蹂躙するために、全ての革新的技術を我が掌中に集約する。そして、監視と管理と支配のために徹底利用する。これを企む輩が出現した時、人類の闇は深い。
第四次産業革命などという言葉が飛び交っている。その中で主役を演じるのが、ロボット工学やAIやブロックチェーンやナノテクノロジーや量子コンピューターや生物工学やIoT等々々々々なのだという。これらの主役たちの包囲網に絡めとられて、人間たちは一体どこにつれて行かれてしまうのだろう。
つれて行かれる先について、今の日本政府が答えを示してくれている。そこを、彼らは「ソサエティ5.0」と呼んでいる。別名超スマート社会だ。そこに我々が追い込まれた時、テクノ・ファシズムが完結する。
※AERA 2019年11月4日号