「時代を超えたリーダー」は、兵庫県ゆかりの平清盛か、愛知県ゆかりの織田信長か? 日本の歴史を彩った魅力的な人物が、32のテーマごとにふたりずつ、47都道府県の代表として登場し激突する『歴史人物ケンミンバトル』(朝日新聞出版)。好評発売中の本書からバトルを紹介する。
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■貴族のけらいだった武士が政権奪取――平清盛
兵庫県ゆかりの武将、平清盛は、武家の名門、平氏の棟梁(リーダー)。「平家にあらずんば人にあらず(平家でない者は人間ではない)」といわれるほどの一族の繁栄を築いた名将だ。
清盛が生まれたころの日本は院政期だった。天皇の位を退いた上皇や法皇(=院)が権力を持って政治を行っており、平氏をはじめとする武士は、皇族や貴族のけらいにすぎなかったのだ。
そうした中、清盛は、宋(中国)との貿易で得た巨万の富と、平氏の軍事力、そして上皇と天皇、貴族たちの権力争いを利用するといった抜け目のない政治力によって、貴族社会の中でどんどん出世し、ついに貴族を圧倒して、日本で初めての武士の政権をつくりあげた。
■身分が低い部下も実力主義で評価――織田信長
対するは、今から約450年前、戦国時代の日本に現れた英雄・織田信長。愛知県出身の戦国大名だ。
あまたの戦国大名が争い合った戦国時代。織田家はもともと尾張国(愛知県)の小さな戦国大名にすぎなかった。しかし信長は、身分が低い者でも才能があればどんどん取り立てて重要な仕事を任せるという実力主義や、当時の最新兵器である鉄砲を大量に利用した戦略など、時代を先取りした考え方と行動力でほかの戦国大名を圧倒し、織田家を大きくしていった。
1573年、とうとう信長は、当時日本を治めていた室町幕府の15代将軍・足利義昭を京から追放して幕府を滅ぼした。ついに天下統一にいちばん近い戦国大名となったのだ。
■自分亡き後の一族の滅亡や部下の裏切りは予知できず
貴族などのけらいにすぎなかった武士の地位を高め、ついには武士の政権をつくりあげた清盛。乱れた日本を実力でまとめ、新しい政治を生み出そうとした信長。それぞれ抜群の政治力と行動力で時代を先取りしていった。しかし、それほど先を見る目がありながら、ふたりが自分亡き後の一族の滅亡や、部下の裏切りを予知できなかったのは残念だ。