『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。今回はドイツの偉大な作曲家、ブラームスを「診断」する。
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最近は、羽田発着の欧州便が増えたため、仕事を片付けて深夜に立ち、朝帰って来て大学にでかけるという無茶な日程が組めるようになった。この原稿を書いている便もフランクフルト発羽田に早朝6時着の予定である。仕事が山積のため、今回の出張で唯一、学会場を抜け出して覗けたのは、近くにあるドイツロマンの巨匠ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)の生家あとの博物館だった。
俗にバッハ、ベートーヴェン、ブラームスをドイツの「三大B」という。各々バロック、古典派、ロマン派を代表する大作曲家である。ブラームスの重厚でやや古風な構成をもつ交響曲や弦楽四重奏曲は音楽愛好者のなかでも「通」が愛聴するものだそうだが、当時の学生歌を取り入れた「大学祝典序曲」や民謡風の「子守唄」など親しみやすい作品も多く残している。
■ブラームスの持病
ブラームスは1833年、港町ハンブルクの貧しい家庭に生まれた。高等教育を受ける機会には恵まれなかったが好学心が強く、音楽好きの父の影響でピアノを猛練習し、十代の半ばには家計を助けるためにカフェやダンスホールで演奏を始めた。19歳の時、思い立って無一文で武者修行の旅に出かけ、数年後には優れた演奏家、作曲家として再びハンブルクに帰って来る。
多くの伝記や評伝では、57歳の時にインフルエンザで寝込むまでブラームスは病気しらずで熱を出す事もなかったという。しかし、彼には困った持病があった。酷いいびきと居眠りである。
1880年代に一緒に演奏旅行を行った名バリトン、ジョージ・ヘンシェルは「演奏会が成功裏に終わり部屋に戻ったらもっとも大事なのは、いかにしてブラームス先生より早く眠るかということだった。先生のいびきは我々の世界では有名で、先生が先に眠ってしまうと朝まで眠れない。絶望のため、私は部屋を出た。すると翌朝、悪戯っぽい眼で先生は『おはようヘンシェル君。昨夜はどこに行っていたんだね。心配したよ』と尋ねてくるのだ。なんて人だ、何が原因かわかっているのに!」と記している。