■ブラームスの居眠り姿はウィーン名物
中年以後、ブラームスは昼間によく居眠りをすることでも有名だった。立派なあごひげのでっぷり太った大作曲家が、カフェの一番良い席で午睡(ごすい)をむさぼっている姿は、ウィーンの名物だった。しかし、居眠り癖自体は若いときからあったようだ。
最初で最大の失敗はブラームスが20歳だった1853年、師匠シューマンの紹介ではじめて対面したフランツ・リストが、自らロ短調のソナタを演奏しているときに佳境に入ると、ブラームスは船を漕ぎ出したのだった。当代一の名人と自負していたリストは痛く自尊心を傷つけられ、以降ブラームスには会おうとしなかった。もっともこの頃のブラームスは痩せた美青年だったので、技巧最重視のリストの音楽が本当につまらなかったのかもしれぬ。はるか後年の1890年、新進には気鋭の指揮者グスタフ・マーラーが巨匠の前でタクトを振る機会があったが、客席から無遠慮ないびきが聞こえてきた。晩年には劇場のみならず、執筆中や食事中のテーブルに突然うつぶして眠ることもあったという。
■OSA(閉塞性睡眠時無呼吸症候群)とは
ペンシルバニア大学の呼吸器科医Margolisは、ブラームスの手紙や周囲の記録を注意深く読むと、彼がOSA(obstructive sleeping apnea=閉塞性睡眠時無呼吸発作症候群)に悩んでいたのではないかという仮説を提唱している。前述のようにブラームスは小柄で30歳くらいまでは痩せて敏捷だった。しかし、師匠の未亡人クララへの失恋に加えて、もともと美食家で酒好きのためか、別人のように肥満になっていく。
35歳のときには愛用の毛皮の外套(がいとう)のボタンがかからなくなり、50歳過ぎには出っ張ったお腹のために小用にも不自由した。中年以降の写真ではあごひげに隠れて首がほとんど見えない。上半身、特に首の肥満は気道を狭窄することからOSAの重要な悪化要因である。一般に睡眠時無呼吸症候群とされるものには気道閉塞で呼吸が止まってしまう閉塞性睡眠時無呼吸症候群(OSA)呼吸中枢の異常による中枢性睡眠時無呼吸タイプ(CSA)がある。彼の場合はおそらく肥満が原因と考えられるが、晩年には脳血管障害などによる中枢性の要因があった可能性も否定はできない。