日本で娘を出産し、アメリカに来たばかりの頃です。生後3カ月の娘を見ては道行く人が声をかけてくれるのですが、はじめ、何か違和感がありました。
「かわいいね~」
「まぁ、かわいいこと」
「かわいいわ~。ほんとかわいいわ~」
みんな、判で押したように「かわいい」という言葉しか使わないのです。
スモールトークが誰よりも得意なアメリカ人。1分かそこらのレジ待ち時間でも、豊かな語彙を駆使して小噺を披露するくらい話術に長けた人たちなのに、こと子どもをほめるとなると「かわいい」のひと言に終始します。何カ月?とか、名前はなんていうの?などと世間話が始まったりもしますが、ほめ言葉だけは決まって「ソウ・キュート」。日本ではそれが違ったので、余計に不思議でした。
日本では「かわいい」とほめてもらうときも、別の言葉がくっついてくることが多かったように思います。
「かわいいね~お父さん似かな?」
「まぁ、かわいいこと。目がぱっちりで」
「かわいいわ~。え、まだ3カ月?ずいぶん大きいのねぇ」
何かしら容姿に関する言及があるのです。
おそらく、「かわいい」だけでは言葉が足りないと思うからじゃないでしょうか。わたし自身も友人の子に会ったとき、かわいいのはわかってるんだ、この子だけが持つ特別な魅力を見つけなければいけない!と奇妙な使命感に駆られ、「色白だからかわいい」「髪がくるくるでかわいい」などと理屈っぽくほめていました。
ストレートに「かわいい!」とほめるのが照れくさいという国民性もあるかもしれません。
以前、アメリカ人数名と並んで撮った写真をフェイスブックに載せたら、日本の知人から「やっぱり日本人はお洒落だね」というコメントをもらったことがありました。んん、なぜにいきなり日米文化比較?と思って聞いてみたら、どうも彼女は「あなたの服、お洒落だね」と言いたかったようなのです。でもズバッと服装をほめるのは気恥ずかしい、それでわたしの「日本人」という属性に触れることで間接的にほめていてくれたみたいで……。うーん、難解!