哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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トランプ大統領が訪日日程を終えた。安倍首相はゴルフと大相撲など異例の歓待で日米同盟の緊密さを世界にアピールして堂々たる外交的成果を上げたと大手メディアはうれしげに報じているが、そのような気楽な総括でよろしいのだろうか。
大統領は首相との密談の中身について「農作物と牛肉」をめぐる交渉で「大きな進捗」があったこと、「7月の選挙が終わった後」に「大きな数字」が出てくることまであっさりツイッターで暴露した。横須賀では空母化される「かが」に搭乗して、米国製の兵器の「最大の買い手」である日本政府がこれから1機150億円のF35ステルス戦闘機を105機購入すること、それを艦載した大型艦船が「すばらしい新しい装備で地域の紛争にも対応することになる」と日米同盟の広域での軍事的展開を予言してみせた。
このどこが安倍外交の「成果」として称賛されるのか私にはわからない。大統領はただ「属国」を視察に来て、「代官」に忠誠心の踏み絵を踏ませて、満足して帰って行ったようにしか見えない。
大統領は大幅な関税引き下げを求め(それは日本の農業に致命的な打撃を与える)、維持費を含め6兆円の戦闘機を買わせ(それは福祉や教育や医療に投じることができた財源である)、日米同盟の本質が軍事的なものであることを世界に広言した(それは米国が始める戦争に日本が巻き込まれるリスクを高めた)。
大統領が訪日で獲得したものはそのまま日本が失ったものである。にもかかわらず、多くの日本人がこの「成果」に随喜している。なぜそのような倒錯的な思考ができるのか。説明できる仮説を私は一つしか思いつかない。それは「米国の国益を最大化することがわが国の国益を最大化することである」という信憑がひろく日本社会に行き渡っているということである。
これに類する事例を私は他に一つ知っている。かつてソ連の衛星国の指導者たちが主語を「ソ連」に替えただけで、これと同じ文型で自分たちの統治を正当化していたことがあった。それらの国々がその後どうなったか、人々はもう忘れてしまったのだろうか。
※AERA 2019年6月10日号