日本では「いいことをするなんて恥ずかしい」と感じるところ、アメリカでは「いいことをしないなんて恥ずかしい」となります。シャツがしわくちゃでみっともないとか、お金があるのに寄付しないなんてケチくさいとか、3食続けてハンバーガーを食べちゃって情けないといった感情と同列で、健康な大人なのに赤ちゃん連れに席を譲らないなんてはしたない、というわけです。極端な言い方をすれば、自分をよく見せるため、自分が気持ちよくなるために優しくしているというわけです。
アメリカではキリスト教の教えが浸透していることも大きいでしょう。新約聖書のマタイによる福音書5章には「あわれみ深い人たちは(神から)あわれみを受けられる」「平和を作り出す人たちは神の子と呼ばれる」との文言があります。他者を助け社会に貢献することで天国に近づける。これまた極端な言い方をすれば、自分が天国へ行くため人に優しくしているのです。もちろん、100%相手のために尽くす人もいるし、この行いは人のため、あれは自分のためとキッパリ二分することはできませんけれどもね。
アメリカでは(今回特に『アメリカでは、では』とうるさいですが、そういう趣旨の連載なのでお許しください)、ホームレスの人にお金を渡すと「God bless you」と言われることがあります。「お金をお恵みいただいて、どうもすみません」ではなくて、「君いいことしたね、これで神からのご加護があるかもね」ってな調子です。むしろ、お金を渡した側が「優しくさせてくれてありがとう。これで神のご加護を受けられるよ」と感謝するくらい。施しを受ける側が卑屈になることも、施しをする側が偽善だと自分を責めることもなく、カラッとしたいい関係性ですよね。
「人に優しくしましょう」と口で言うのは簡単ですが、それはただの理想にすぎません。自分に余裕がないと、優しさって発揮できませんよね。東京の街が子連れに優しくないのは、みんな自分のことに忙しくて他者を気遣うゆとりがないからでしょう。だからこそ、アメリカのように「自分のために」人に優しくしようという思考になれば、お互い幸せになれるんじゃないかと思うのです。
日本にはマタニティマークという、特に妊娠初期にはとても役立つ仕組みがありますが、あんな感じで「マタニティお手伝いマーク」を作るなんてどうでしょう。妊婦さんに「お手伝いマーク」を100個くらい渡して、産前産後に誰かが助けてくれたら、その人にお手伝いマークを渡していくのです。マークをもらった人は、提携店でそれを提示すると100円割引してもらえるとか。子連れが「迷惑かけてすみません」ではなく、「私らを助けてよかったね、得したじゃん!」と言えるように。日本にも「徳を積む」とか「情けは人の為ならず」という考え方があるから、受け入れられやすいと思うんですけどね。ダメかなぁ。
※AERAオンライン限定記事
◯大井美紗子
おおい・みさこ/アメリカ在住ライター。1986年長野県生まれ。海外書き人クラブ会員。大阪大学文学部卒業後、出版社で育児書の編集者を務める。渡米を機に独立し、日経DUALやサライ.jp、ジュニアエラなどでアメリカの生活文化に関する記事を執筆している。2016年に第1子を日本で、19年に第2子をアメリカで出産。ツイッター:@misakohi