

日本の高度経済成長を支えた労働者が暮らす川崎・池上町でいま、住民たちが立ち退きを迫られている。あいまいにされてきた「戦後」の問題が、現代に表出した。地域の歴史をひもとくと、路地裏に残るひずみが見えてきた。ライターの磯部涼氏がレポートする。
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「街の中が迷路みたいなんで、子どもの頃は鬼ごっこをするのが楽しかったですね」
ひとりの若者が狭くうねった夜の路地を、勝手知ったる様子で歩いていく。2015年10月。街灯が少なく、ひと気もないため、初めて来た人には少し不安になる雰囲気だ。
先導してくれた彼は、当時19歳だったBarkという名のラッパー。幼なじみと結成したラップグループのBAD HOPは、3年後に武道館公演を成功させた。そんな新しいスターが生まれ育ったのが、川崎市川崎区の池上町である。
「ラップを通してこの街のことを伝えられたらと思っています」
そう言う彼の後をついて路地を抜けると、「池上コインランドリー」という看板が半分崩れ落ちた店の前に出た。いま、若者の間ではカリスマになっているBarkだが、生まれを示すように、右眉の上にタトゥーで“IKEGAMI”という文字を刻み、BAD HOPの武道館公演に合わせてつくったアルバムのジャケットには池上町のシンボルである池上コインランドリーの写真を使った。
アルバムが出た昨年秋、その池上コインランドリーを巡って、ある「事件」が起きる。オーナーが新たに土地を利用しようと老朽化した店の解体工事を始めたところ、土地の所有者である鉄鋼メーカーのJFEスチールと、川崎市から、土地を明け渡すよう求められたのだ。12月下旬には敷地が柵で囲まれ、「JFEスチール管理地」という標識が架けられる。それは、小さな町を揺るがす騒動の始まりだった。今年2月には、JFEから住民に宛てて、家屋を収去して土地を明け渡すよう求める通知書が次々に届いた。
●臨海部の工場で働くために、朝鮮半島からやってきた