福田晴一(ふくだ・はるかず)/昭和31(1956)年、東京都生まれ。みんなのコード学校教育支援部主任講師、元杉並区立天沼小学校校長。約40年の教員生活を経て、2018年4月NPO法人「みんなのコード」に入社。61歳で新入社員となる。2020年度からの小学校におけるプログラミング教育必修化に向け、指導教員を養成すべく、全国を東奔西走中
天沼小でのプログラミング授業の様子。使い方を詳しく教えなくても児童は試行錯誤しながら学んでいった
61歳で公立小学校の校長を定年退職した福田晴一さんが「新入社員」として入社したのはIT業界だった! 転職のキーワードは「プログラミング教育」。今回は、福田さんがプログラミング教育に取り組んていた校長時代の話です。
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私が60を過ぎて、公立の校長からプログラミング教育指導員として全国行脚することになったのは、最後に勤務した東京都杉並区の天沼小学校での経験が大きいことは明らかだ。
天沼小学校は、各教室に電子黒板と書画カメラがあり、4年生以上には1人1台タブレットが配備されるという環境が整っていて、高学年児童は教科書・ノート同様にタブレットを小脇に抱え教室移動している景色がごく普通にあった。
なぜそれが可能だったのか。
天沼小学校が現在の新校舎になったのは2011年。文部科学省が推進する「エコスクール」という名の下、環境面にも配慮された、機能的な新しい校舎だったので、教育委員会も天沼小学校を当初からあらゆる教育面での「モデル校」にイメージしていたのだと思う。モデル校や推進校になると、ICT環境のインフラ整備のための予算が教育委員会にある。杉並区が、ICT環境を充実させたいというベクトルもあり、天沼小学校は児童用端末の整備を早々に充実させることができ、我流ではあったが、タブレットを使った協働型の授業や情報モラルなどは行っていた。
そんな折、2016年の春に「小学校プログラミング教育の必修化」というニュースが、飛び込んできた。産業競争力会議での安倍首相の「日本の若者には、第四次産業革命の時代を生き抜き、主導していってほしい。このため、初等中等教育からプログラミング教育を必修化し、一人ひとりの習熟度に合わせて学習を支援できるようITを徹底活用します。」の発言である。
この発言を受けて、それまで文部科学省が長年かけてきた新学習指導要領の改訂作業に、一気にプログラミング教育導入の議論が盛り込まれた。
中学校においては、技術・家庭科の中で、従来も扱われてきた学習内容だか、小学校においては皆無な状態からの導入プロセスとなった。新学習指導要領の告示の期日が迫る中、短期間のうちに3回の有識者会議が開催され、安倍首相の発言の2カ月後には「議論の取りまとめ」が公表され、新学習指導要領に盛り込まれるという急展開だった。
当時、学校現場からは、「プログラミングって何 ?」「そもそも、必要じゃないんじゃない?」「また新しいことを覚えなきゃならない?」「小学生に難しいんじゃない?」「どうやって、教えたらいいの?」等、悲痛な声が上がったのは事実である。
いや、このような声が上がる現場は少なからずとも関心がある証拠で、全くの他人事(ひとごと)として認識していた、もしくは現在も認識している学校現場も実はまだ多い。
私自身は、学校でICTの利活用する中で、長年携わった教科教育の研究にはない、醍醐味(だいごみ)を感じていた。
「目の輝きがちがう」
この言葉は頻繁に教育現場では耳にするが、非常に主観的で科学的根拠を伴わないフレーズであると思う。しかし私は40年近い教職経験から、プログラミングの授業でまさに「児童の目の輝きが違う」場面に何度も遭遇した。これは、次世代の授業スタイルにも成り得るとさえ直感した。ある意味、授業改善とも言える。
そうこうしているうち、東京都教育委員会から2020年度からのプログラミング教育普及に向けての取り組みとして、東京都内の小学校1273校から、7校のプログラミング教育推進校の募集のお知らせきた。
私は、即座に申請を出した。まだ、都内各校の校長にはプログラミングについての情報が周知されていなかったのか、申請学校数も少なかったようで、初年度、平成29年度のプログラミグ教育推進校として天沼小学校が決定した。これは、全国の教育委員会の中でも先駆的な教育施策で、地方の教育委員会からも注目された取り組みになったのだ。