「母校オックスフォードに、初の日本人レギュラーがいるというので、一時帰国の折に紹介されたんです。83年に本格帰国してからは、さらに親しくつきあうようになった。ロンドンジャパニーズでも一緒にプレーしていたんですよ。私が10番で、奥が12番でね」

 忘れがたい思い出を尋ねるとクラークさんは一瞬目を閉じた。

「02年9月に早稲田が上井草グラウンドを開設したとき、彼は英国大使館に勤務していたんだけれど、その1週間前に突然、奥が『おい、行こうぜ』って言い出したんです。それで急遽、2人でプライベートで東京に飛んだ。記念試合として行われた早稲田対オックスフォードの結果は23対23と、本当にいい試合だったし、その後、夜じゅう飲み歩いたことは忘れられない。彼は、本当にパーティーアニマルでね(笑)。楽しい男でした。だからこそ、私たちはラグビーを楽しくプレーして、ビールをたくさん飲んで、幸せでなきゃならないんです。それが彼の望みだと、私は固く信じている」

 クラークさんの言葉通り、記念杯の会場では、敵も味方も、国籍も関係なく、人々が笑顔で背中を叩き合い、会話を楽しみ、乾杯を重ねていた。

「奥克彦がオックスフォードのチームに参加していたことや、クラーク氏をはじめイギリスの選手が日本で活躍したこともあって、イギリス側でも、日本のラグビーに対する熱意はよく知られています。これまでのイギリスと日本の関わりのなかで、ラグビーが果たしてきた役割は、じつは小さいものではけっしてないのです」と、その様子を笑顔で見守っていた前出の鶴岡駐英大使は語った。

「W杯期間は、多くのイギリス人が日本に行くと思いますので、日本のみなさんも、この機会に交流を深め、国際的な知見を広げていただければと思います」

 それは、奥さんの志を継ぐことにもつながっていく。(朝日新聞出版・伏見美雪)

AERA 2019年1月14日号

[AERA最新号はこちら]