哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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「合同墓」というものを建てた。建築家の光嶋裕介君に設計してもらった大理石のお墓である。以前、凱風館(がいふうかん)のゼミで「お墓」について発表したゼミ生がいて、一人暮らしの女性にとって「お墓問題」がどれくらい切実なものかを教えて頂いたことがきっかけである。
家督を継ぐ長男が墓を守るという風習が廃れ、先祖の墓を守る仕事を誰が引き受けるのかがあいまいになった。累代の墓を近所に改葬したり、骨つぼを納骨堂ビルに預けたり、「墓じまい」して、「あとは各自で」と対応はさまざまである。
俺の骨は海でも山でも好きなところに撒いてくれ、墓なんぞ俺は要らんよというドライでクールな人は男性に多い。でも、女性は違う。「姑と同じ墓には入りたくない」とか「夫と同じ墓には入りたくない」とか怖いことを言うのはだいたい女の人である。「墓に入ってからの人生」にある種のリアリティーを感じているのである。だから、死んだ後、誰がどんなふうに自分の墓を管理するのかが気になる。
合同墓は悩める人たちのために私が出した一つの解である。凱風館の門人、ゼミ生たちで合同墓の趣旨に賛成して、協賛金を出してくださった方のお骨はこちらに納める。過去帳の管理は釈徹宗(しゃくてっしゅう)先生が住職をされている如来寺にお願いする。
毎年気候の良い時に墓前に集まり、法要を営み、鬼籍に入った懐かしい人たちの思い出を語り合い、美酒を酌むという趣向である。
これができるのは凱風館が「師匠から教えて頂いた技芸を次世代に伝承する」ための場だからである。墓は50年、100年というタイムスパンで管理しなければならないものであるから、「供養の主体」は個人では務まらない。時代を超えて同一的であるような集団だけしかこの仕事は担うことができない。
凱風館の墓石の隣には如来寺の合同墓がある。これは供養する人のいない檀家のために釈先生が私財を投じて作られた。如来寺の墓には「倶会一処(くえいっしょ)」、凱風館の墓には「安定打坐(あんじょうだざ)」の四文字が刻まれている。
快晴の冬の日、山上で営まれた建碑式に来てくれたのはほぼ全員が女性だった。
※AERA 2019年1月14日号