日本語と英語では言語としての構造そのものが異なる。翻訳文学に慣れていないアメリカの読者は少しでも違和感を覚えると、読むのをやめてしまう。

 そこでバーンバウムさんは編集者のエルマー・ルークさんと、できあがった英文を読み上げながら、訳文を練り上げていった。

 たとえば「やれやれ」という台詞も、「great」だけにしたり、「just great」にしたり、「Great, I thought,just great.」とくり返したり、もしくは全く訳さなかったりしている。

「『僕』の『やれやれ度』によって変えていて、絶妙だな、と思います」(辛島さん)

 原文の順番を入れ替えたり、時には表現の重複などを削除することもあった。「アメリカの読者は気が短い」からだ。改変を嫌がる作家もいるが、バーンバウムさんらの提案を、自身も翻訳をする村上は快く、ときに面白がって受け入れたという。

 イベントのあと、あらためて辛島さんに話を聞いた。

 著書で小説への評価としてたびたび登場するのが「ヴォイス(声)」という表現だ。辛島さん自身も「村上さんには、彼だけが持つ独特なヴォイスがあり、それが翻訳者を通じて、アメリカの読者に届いた」と語る。

 作家としてのヴォイスとは、いったいどのようなものなのか。

「ヴォイスとは何か、人によって捉え方に違いがありますが、単純化して言ってみると、書き手が作品に対して持つ作家独自の表現方法や世界観。それから個々の作品内の語り手や登場人物それぞれの語り口──と、二つの層があると思います」

 近年、日本の作家も海外での翻訳出版に大きな関心を向けるようになった。だが海外で受け入れられるには、作家としてのヴォイスがユニークで、魅力的か否かが大事な要因になるだろう。

 アメリカでは翻訳文学に対する関心が高まってきている。全米図書賞は今年から「翻訳文学部門」を復活させ、多和田葉子の『献灯使』(マーガレット満谷訳)が受賞した。日本文学について言えば、特に女性作家への注目度が高い。村田沙耶香の『コンビニ人間』(竹森ジニー訳)も話題になり、ニューヨーカー誌の年間ベストブックスの一冊にも選ばれている。

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