私は、インペリアルビーチに集まってきているさまざまな米国人に話を聞くなかで、印象に残ったことがあった。
壁建設への「賛成派」も、「反対派」も異口同音に「不法に入ってくるのはよくない」と語ったのだ。
「不法移民は認められない」というのは当たり前のことではある。
この20年弱、私は米国と日本を行ったり来たりして暮らしてきた。米国で感じるのは、庭の落ち葉収集から、さまざまな家事の手伝いに至るまで、米国人の暮らしを低賃金労働で支えているのは、こうした移民たちである、という実態だ。
米国人たちの多くは、不法であろうとも移民との「持ちつ持たれつ」を容認する雰囲気が強かった。移民を仲間として受け入れる寛容な雰囲気を感じることが多かった。
それがこの半年あまり、移民を「向こう側の人」と捉える空気が強まっているように漠然と察していた。国境の現場で取材するうちに、その変化が確実に起こっていることを、まさに肌で実感した。
トランプが約束した、構造物としての「大きな壁」はできてはいないけれど、「心理的な壁」は拡大しているように思えたのだ。
そもそも、米国人の心の不安をいまかきたてている「移民キャラバン」とは、どんな人たちなのか──。
冒頭の取材の翌日、国境の検問所を徒歩で越え、メキシコ側のティフアナに入った。
目を見張ったのは、ティフアナの発展ぶりだった。
15年前、やはり米国への不法入国問題の取材で訪れたティフアナは、国境を越えた瞬間からごみが目立ち、身の危険を感じる場所だった。
ところが、いまのティフアナは、米国側とさほど変わらない雰囲気で、アメリカナイズされたメキシコの町という風情になっていた。米国内と同じように、配車サービスの「ウーバー」を使って、移動できた。
そんな町の雰囲気が、にわかに険しくなった。警察がバリケードを築き、人の出入りを厳しく制限している。中にあったのは、移民キャラバンの避難所だった。
避難所には、女性や幼い子どもの姿もあるが、大半は10代後半や20代の若い男性たちだ。よく日焼けした顔が、1カ月余りにも及ぶ陸路の長旅を感じさせる。
バリケード内には、時折ボランティアが食べ物を届けにくる。するとキャラバンの参加者たちが一気に取り囲んで、黒山の人だかりとなり、提供されるサンドイッチなどを奪い合うように手にしていた。
避難所は、地元のスポーツセンターをティフアナ市が急遽、開放したものだった。野球場2面と関連施設の中に、2千人以上が文字通り、ひしめきあって暮らしていた。食料が足りず、いらだっている人が少なくなかった。