安定した職をなげうって、ベンチャー企業へと思い切った転身を図る人が増えている。時には「嫁ブロック」に遭いながら、新たなキャリアを築こうと踏み出した人もいる。
* * *
ブルーのジャケットにコットンパンツという軽快ないでたちで取材場所に現れた神田潤一さん(48)は元日銀マン。ほんの少し前まで地味なスーツが定番だった。昨年9月、有力フィンテックベンチャーのマネーフォワードに転じた。日銀という安定した組織からの思い切った転身。決意させたのは、フィンテック業界に集う魅力的な人々だ。
神田さんは15年から2年間、金融庁に出向した。ミッションは、当時勃興したばかりのフィンテックという新技術を、金融庁としてどう位置づけ、政策に取り入れるのかを探ること。
従来の金融という概念を覆す可能性を確信し始めた頃、フィンテック協会の設立式に呼ばれた。会場には高揚感が漲っている。ところが「金融庁から神田企画官が……」と紹介された瞬間、空気が一変。明らかに「規制する側の人が来た」と警戒されている。懸命に「金融庁としてもサポートしていきたい」と訴えたが、空気は重苦しいまま。
神田さんは突如、オペラ「椿姫」の「乾杯の歌」を歌いだした。受け入れてもらいたい一心からのとっさの行動。会場はどよめき、歌い終わると万雷の拍手が起きた。歌が得意でよかった。
この出来事をきっかけに、神田さんはいろいろな会合に呼ばれるようになる。
「皆、ステータスの高い前職をなげうって、日本の金融を変えたいという高い志で起業している。こんなにすごい人たちがいるのかと驚きました」
神田さんが惹かれた一人がマネーフォワードの辻庸介社長(42)。スケールの大きさと前向きな姿勢に尊敬の念を覚えた。
彼らと思いを共にしながら過ごした2年の間にフィンテックも急成長を遂げた。そうして日銀に戻った直後、神田さんの心にある思いが頭をもたげてきた。
「自分が居るべき場所はここではないのではないか。入行したのが23歳。今46歳。まだあと23年は働きたい。新しいチャレンジをするなら今だ」