転職し続ける限り常に新入りで、上司が年下になることもあるが、相手を立てられるだけの心の余裕も生まれている。
「人間万事塞翁が馬って言うけれど、もう後がないと思っても、必ず『次がある』と、今ならわかる。だから、過去の私に言ってあげたい。『この職場で結果を出さなきゃ、もう後がないなんてことは絶対にない』と」
資産形成のコンサルタントであり、「クレア・ライフ・パートナーズ」(東京都)執行役員の石川福美さん(31)は、「怒濤の転職人生」を歩んできたという。
最初に社員として勤めたサービス業の職場では、連日のように朝8時から夜中まで働いた。
その後、派遣事務として働いていた頃、「バセドウ病」という甲状腺の病気を患った。息切れや動悸により通勤ができなくなり、退職。収入がないのに、医療費はかさんだ。誰にも相談できないまま、借金が300万円にも膨らんだ。
「通帳を見るたびに家賃など固定費が引かれて残高がガツガツ減っていくのは恐怖でした」
26歳の時、福岡県の実家に帰って療養することになった。
返済が完了したのは体調が戻って東京での仕事を再開してからしばらく後。2014年に今の会社で正社員として雇われて、1年経過した頃のことだった。
バセドウ病を発病して長く家に引きこもっていた頃、傷病手当金や医療費控除、失業給付金など、自身を助ける様々な制度があることさえ知らなかった。勤務先の健康保険に加入している限り、派遣社員や契約社員でも使える制度だという知識は「当時は皆無」。病気などにより長期間の欠勤をしたとしても、一定の期間は解雇せず猶予を与える「身分保障期間」を設ける企業が多いことも、後で知った。
転職時は高収入に目を奪われがちだが、住宅手当や通勤手当など会社独自の保障制度を見比べ、資産や暮らしの設計をする目も大事だと石川さん。こうも指摘する。
「私は体調が悪かった時、精神的に参ってしまって、何か対策を取らなければとか、会社の制度を調べようとか、意欲が全然湧かなかったんです。いざという時に削れる支出と削れない支出を仕分けする支出管理は、『元気なうちに』しておくことをお勧めします」
(ノンフィクションライター・古川雅子)
※AERA 2018年11月19日号より抜粋