「非常事態の最中、よその酒屋が売掛金の回収に躍起になっていたとき、うちの3代目は、東京と三重との間を行き来していた樽廻船に支援物資を積んで、東京に向かったといいます。そしてお世話になった酒屋さんにそれを無償で配って歩いたそうです」
東京の下町の人はこの時の恩義を返すべく、キンミヤの取引を飛躍的に増やした。その後、キンミヤは売り上げの7割を東京の東側で稼ぎ出すまでになった。
宮崎本店と下町の人々のつながりは現在も続き、この逸話はキンミヤ愛好家の間でも語り継がれている。
今でこそ災害時に企業が被災地を支援するCSR(企業の社会的責任)は当たり前だが、当時としては画期的なこと。その後も宮崎本店は、阪神・淡路大震災(95年)や東日本大震災時(2011年)でも、被災地に酒の仕込みに使う「水」を届けるなど、被災地支援に積極的に関わっている。
今も宮崎本店は大量販売の方針はとらず、酒場の主役は酒好きのお客さまだという気持ちから「下町の酒場を支える名脇役」に徹しているそうだ。
キンミヤと関東大震災。下町で愛される庶民の焼酎の向こう側に、東京の歴史が透けて見える。こういう人情秘話が聞けるあたりも、下町散策の醍醐味である。(文中敬称略)(編集部・中原一歩)
※AERA 2018年10月1日号