三重県でつくられる焼酎「キンミヤ」は東京の東側で7割を売る。愛されるのは、酒蔵の歴代社長が被災者を支えたからだ。
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東京・下町の焼酎といえば「キンミヤ」の名前で知られている亀甲宮(キッコーミヤ)焼酎にとどめを刺すのではなかろうか。最近のレモンサワーやホッピー人気もあって、今やキンミヤはのん兵衛のオジサマだけでなく、若い世代、とくに女性にも大好評だ。
下町を愛する酒飲みの間で「聖地」と呼ばれる北千住の居酒屋「大はし」。店の看板メニューである「牛煮込み・肉豆腐」は東京3大煮込みのひとつと呼ばれるが、常連はこの煮込みに、キンミヤに梅エキスを加えた「梅割り」を合わせる。さっぱりとしたのどごしが、濃厚な煮込みの味を引き立たせるという。
キンミヤを製造販売する「宮崎本店」は、三重県四日市市楠町に本社を構える。創業は1846年。地元では「宮の雪」という日本酒の醸造元としても知られるが、創業当時から有名なのは焼酎だった。味の決め手は、仕込みに使う超軟水の鈴鹿山系の伏流水。その柔らかい口当たりが酒の出来を左右する。
また、太平洋戦争の際に当時の社長が、軍部の統制を回避してまでアルコールをつくり続け、巨額の設備投資をして酒を守った逸話もある。気骨ある地域の酒蔵として宮崎本店は地元で愛されている。
しかし、なぜ三重の酒であるキンミヤが、東京の下町でも根強い人気を誇っているのか。そもそも、関東では古くから「酒」といえば日本酒。今でこそグルメ雑誌で焼酎特集が組まれるほどの人気だが、それまで東京っ子に焼酎は人気がなかった。酒類業界では、
「箱根の峠を焼酎は越えない」
と言われていたほどだ。
そのきっかけは1923(大正12)年にさかのぼる。
当時も、東京の東側にある隅田川周辺に集中していた工場地帯で働く労働者の間で、庶民価格の大衆酒としてキンミヤは人気だった。そんな中、下町だけでなく東京全域を壊滅させる関東大震災が発生する。その被害は甚大で、東京府だけでも死者・行方不明者は約7万人にのぼったと言われている。宮崎本店6代目社長・宮崎由至(よしゆき)は先代からこんな話を伝え聞いていた。