「芸術的」と評される美麗な板書、歌舞伎の口跡のようなダイナミックな抑揚、縦横無尽に繰り出されるジョーク。一瞬も注意を逸らさせない授業スタイルは、生徒の立場を考え抜いた末に生まれた。金髪にロックミュージシャンめいた服装はフリーター時代の名残。坂田アキラは、今日も生徒を見ている。
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子どもの頃は、吃音があって喋るのが苦手でした。中学時代、教科書を音読してテープに吹き込んで練習して、ゆっくり喋るようになりました。いまも、その日のコンディションによって言いづらい音があるので、常に先を考え、例えば「紫」なら「パープル」と言葉を置き換えて話しています。
塾講師になったのは、大学卒業後、フリーターでやってこられたのが、バブルが崩壊して働き口を探さなければいけなくなったから。受験勉強はきちんとした方だから教えられるだろうと、10校受けたら10校受かった。初期は様々な教科を教えていましたが、数学の需要が高かったので、数学講師に絞りました。
自分が嫌だった先生が反面教師です。板書してくれない先生、自習ばかりさせる先生、プリントの字が汚い先生。生徒を見ていると、いろいろなことがわかります。オンライン授業でも、コメントに生徒の特徴は表れる。ノートを取る速度は人によって違うから、退屈しないように小話を挟むようになった。
ぼくは、数学と物理、理系然とした科目が得意だったけど、苦手意識がある生徒には、「嫌いなままで大丈夫」と言っています。理系は、フェアな科目です。我慢して、嫌でも時間を削って勉強した奴が勝つ。だから、ぼくも授業中に面倒でも実際に計算して、生徒と同じ苦痛を味わうようにしている。計算間違いをすることだってありますよ。
世の中に大学に行かずに成功した人はいるけど、受験勉強は社会に出てから何をどれだけ頑張れるかのリトマス試験紙だと思ってほしい。ジャンルもルールも決まっているから、人生初の戦いにちょうどいい。受験科目に嫌いな科目があったら、足を引っ張らない程度にやって、得意な科目で豪快に点を取るのもいい。攻めと守りの方法論も学べるし、自分の可能性を発掘できるかもしれない。ぼくも、なじみのステーキ屋の名前に使われていた「あらあら(=「鹿」3つ)しい」という漢字の読みを知っていて、クイズ番組でただ一人正解したことがあります。生涯で一番注目された瞬間だったかも。人生、何が役に立つかわからないですよ。
(構成・編集部/熊澤志保)
※AERA 2018年9月24日号