母国語で演じるということは、ほかの言語で演じるのとは当然、違う。だが、違いは「言語」ゆえでなく、キャラクターが生きる背景をどれだけ理解できるかでもあるという。

 カティヤは真実を求め一人、立ち上がる。タトゥーを入れ、タバコをふかし、いつも同じジャケットを着て、一歩一歩踏みしめるように歩く。

「ああいう女性、身近にいたしね」とクルーガー。自身、舞台となったハンブルクからそう遠くない街で育った。

「ハンブルクなど、ドイツ北部の女性は本当にタフなの」

 これまでアメリカ人女性の役を演じることもあったが、乗り越えられない文化的な違いがあるとは感じていた。

「キャラクターの心理は理解できても、例えば“ボストン生まれ”であることが重要だったりすると限界はある。テレビで議論されていることがピンと来なかったり、思考の根本が理解できなかったり」

 母国語で演じたことが、直接芝居にどう影響したかは自分では分からない。

「でも、いまの成功があるのは“自分のなかのドイツ人らしさ”によるものなのかな、とは思うようになりました。時間に厳しかったり、プロ意識が高かったり。『ルーツに立ち返ることができた』という感覚は確かにありました」

(構成/古谷ゆう子)

AERA 2018年4月30日-5月7日合併号

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