49歳のときに米グーグルのNo.1デザイナーになった韓国出身の女性がいる。彼女の名は、キム・ウンジュさん。韓国で勤めていた会社を27歳で辞めて、渡米。簡単な英語のフレーズすらまともに話せない状態で始まったアメリカ生活だったが、その後はモトローラやクアルコムなどでキャリアを積んだあと、グーグルに入社。25年間で10回の転職経験をした彼女がグローバル企業で身につけたこととは――。著書『悩みの多い30歳へ。世界最高の人材たちと働きながら学んだ自分らしく成功する思考法』(CCCメディアハウス)から、ここでは「英語のスコアが低い私がアメリカの名門大学院に合格できた理由」を紹介する。
【写真】まるでタケコプター!? グーグルの新入社員がかぶる奇妙な帽子
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私はアメリカで何とか生きていく方法を見つけなければならなかった。見慣れない光景ばかりだった。初めて出会ったアメリカ人も、初めて見たコインも。自分の背丈が何インチなのかもわからない。夫が大学院に行くと、アパートにひとり残された。最初の数カ月は外出もできず、ずっと家にいた。外で誰かに出会うと、話しかけられてしまうから。アメリカ中部特有のイントネーションで繰り広げられる、バリエーション豊かな「How are you?」の数々。「How’s it going?」「How’s everything?」「Whassup?」「Howdy!」が「How are you?」と同じ意味だと気づくのに1カ月、「I’m fine.」と返事ができるようになるまでにさらに1カ月かかった。
夫が研究助教として働いて稼ぐ月給でアパートの家賃を払い、裕福とは言えないまでも最低限の生活は維持できた。とはいえ、高い授業料を払って語学学校に通えるような境遇ではなかった。調べてみると、シカゴ市が運営するコミュニティカレッジ(2年制の専門大学、あるいは生涯教育院の役割を持つ市立教育機関)に無料の英語講座があるではないか。毎日4時間の授業がとてもありがたかった。これがアメリカでの最初の社会生活だった。