そんなふうに英語と戦いながら、大学院へ行くための準備をした。運よくシカゴには、私が行きたい専攻分野を有する大学院が3つあった。問題はTOEFL のスコアだ。試験を受けると英語恐怖症が再発して、必要な点数が取れなかった。しかし、諦めるわけにはいかない。
先輩留学者が、「教授に会いに行って頼んでみるといい」とアドバイスしてくれた。現地にいる外国人学生に面談を申し込まれて断る教授はほぼいないし、大学院側としても新入生の確保が重要だという。やれることはすべてやってみよう。そこで、3つの大学院をすべて訪ね、乏しい英語力で自分をアピールした。入学させてほしいという切実な気持ちを込めて。
2校は不合格だったが、イリノイ工科大学(IIT)のデザイン大学院から2000年春学期の合格通知書を受け取った。アメリカ生活開始から1年後のことだった。やった!
あれほど欲しかった合格通知書を手にしたとはいえ、喜んでばかりはいられなかった。授業料を用意しなければならない。当時は学期ごとの授業料が約1万ドルだったので、1学期は両親が支援してくれた1000万ウォンで、2学期は韓国で働いて貯めた1000万ウォンで、3学期はアメリカでインターンとして働いて、最後の学期は学資ローンでまかなう計画だった。
ところが、アジア通貨危機で一気にウォン安となった為替レートが回復せず、300万ウォン足りない。これ以上、学費を捻出する方法はなかった。
私は大学院にメールを送った。すでにシカゴに来ていて合格通知ももらったが、為替レートの事情で入学金が足りない、奨学金を給付してほしいという内容だ。私がこの大学院を卒業した暁にはアメリカ社会でどんな人物となり、その成功が学校にどのようなメリットをもたらすかを書き添えた。切羽詰まっていたから、地元の方言でまくしたてるかのように英文メールが書けた。数日後、大学院から返事が来た。授業料の30%を奨学金として給付してくれるという。これでちょうど300万ウォンの不足分が補える。天はやっぱり自分自身で努力する者に力を貸してくれるのね! どんな結果になるかわからなくても、まずは思い切って行動してみることが大切だ。
ダメでもともと、無理ならいいや、の精神で。