北朝鮮有事の際、沿岸部は邦人避難や難民を受け入れる可能性もある。地域はどう考えているのか。記者が長崎・対馬を訪ねた。
【レンタサイクルで「韓国展望所」を訪れた韓国の大学生コンビ】
平昌五輪閉幕2日後の2月27日の昼下がり、日韓国境に浮かぶ長崎県・対馬北部の比田勝港国際ターミナルはごった返していた。50キロメートル足らずの韓国・釜山港からは高速艇で70分。周囲のホテルや商店の看板にはハングルが溢れ、行き交う韓国人観光客の表情からは、異国を訪れた緊張感はみてとれない。大型のクーラーボックスと釣り竿を担いだ中年男性のグループ、幼子を連れた若夫婦やカップル、少人数の友人同士など、客層も様々だ。
「土日はこんなもんじゃないですよ。『オリンピックを観に行けばいいのに』と声をかけたお客さんには『寒いし遠いからいやだ。対馬のほうが全然いいよ』と返されました」
国内便とも共通だったターミナルが一昨年、国際便専用に整備されたのに合わせ、近くにカフェを開業した天瀬弘子さん(42)は快活に話す。メニューなど店内外の表記はハングル中心で、訪れる観光客はほぼ全員韓国人。地域の韓国語講座にも顔を出すが、それよりも日常のやりとりで自然に会話力が身についたと言い、こう続けた。
「お客さんも日本語を勉強していて『すみません』と入ってこられる方ばかり。何しにこんな田舎へと思っていたら、かえってそれがいいみたいですね。仕事で疲れた頭と体をリフレッシュさせるために、トレッキングで自然を楽しんだり自転車で史跡を回ったり。リピーターも多いし、先日話した若い男の子は『夜になると真っ暗な中に電灯がポツンと一つ点いていて、なんてキュートな街なんだと思いました』って言うんですよ」
若い女性客はもっぱら免税店でのショッピング、中高年の団体客は色とりどりの観光バスに乗って島内の観光地を巡る。南北82キロメートル、面積約700平方キロメートルの日本で3番目に大きな離島は、ユネスコの「世界の記憶」に登録の決まった朝鮮通信使の縁を伝える観光資源にも事欠かない。自然も豊かで自国の歴史とも密接に関わる郷愁を感じさせる島。1999年には2259人だった対馬市に入国した外国人は、2007年に5万人を突破。以降もうなぎのぼりで昨年は36万人を超え、うち98.9%が韓国人だった。この急成長を支えたのが、釜山─比田勝の船便の拡大。01年に韓国の海運会社が初めて定期航路として参入、11年にはJR九州高速船と釜山市の業者がこれに加わり、今年2月には韓国からもう1社参入、4社体制になった。多い日には到着便が8便、入国者も3千人にも達する。