多くの歴史ファンを魅了する明治維新。実は「政策」の観点から見てみると、また興味深いことが分かる。『イノベーターたちの日本史』著者の米倉誠一郎さん(64)に聞いた。
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日本の論壇では、明治維新を「封建体制を打破した市民革命」とみなす見方と、「天皇制という絶対王制確立」とみなす見方の対立が長いこと続きました。いわゆる「日本資本主義論争」です。
明治維新をマルクス主義理論のどの段階に位置づけるのかという原理論的論争だったわけです。今となれば当たり前のことですが、発展形態は国ごとにそれぞれ違います。明治維新は市民革命の要素もありましたが、できあがったのは絶対主義的天皇制でもありました。しかも、封建制を破壊したのはその一部だった士族です。これは複雑な連立方程式でした。この難問を解決するにあたり、「秩禄処分」「士族授産」「国立銀行条例」の三つの回答は半ば偶然に相互補完しあうイノベーティブな政策デザインになった。
当時横浜ではしたたかな外国の商人が、幕末に水増し贋造(がんぞう)された小判や維新政府の太政官札を集めて「(銀と)兌換(だかん)しろ」と要求していた。兌換に応じたら大量の銀貨流出につながってしまう。さらに、不平等条約による出超も財政を圧迫していた。外交責任者に抜擢された大隈重信は対外折衝を重ねるうちに、貨幣制度の確立と財政基盤の安定化がないと、諸外国と平等なる「万邦対峙」などありえないと認識します。紙幣整理と兌換銀行の設立に関しては、大隈、井上馨、渋沢栄一などが考えていたセントラルバンク方式より、伊藤博文がアメリカで見てきたナショナルバンク方式のほうがいいとなった。先進諸国から情報を収集し、日本なりの金融システムを考え抜いていたことがうかがえます。こうして「国立銀行条例」が公布されました。
財政基盤の安定化ということでいうと、一番の財政負担は不労所得者となっていた旧士族たちの給料です。でもかつての仲間たちを無残に切り捨てられない。そこで考えたのが有償撤廃。身分を買うということでした。素晴らしいのは、身分を紙きれ=公債で買ったことです。年7%の利子収入を保証して、一括購入した。これによって旧士族層に一定の安心感を与えつつ、革命成就後の反革命を巧みに阻止したのです。