国立がん研究センターは2月、がん患者の部位別10年生存率を公表。昨年12月の「現場からの医療改革推進協議会」では画期的な臨床報告が相次いだ。ゲノム編集などが進む一方、患者は正しい情報を把握できているわけではない。そんな現状を『悪医』の著者・久坂部羊氏、医療ガバナンス研究所理事長で医師・上昌広氏が語り合った。
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「残念ですが、もうこれ以上、治療の余地はありません」「先生は、私に死ねというんですか」──久坂部羊さんの小説『悪医』は、医師と患者の衝撃的な決別のシーンから始まる。「がん」を挟んで向き合う両者の差はどこから生まれるのか。
上:『悪医』、拝読しました。患者と医師のすれ違いは、医療の現場で起こりやすい誤解だと思います。がんの死亡率が、いまだに全年齢ひとくくりに取り上げられるなかで、年齢設定も絶妙だと思いました。作中の男性は52歳と若いですから、諦めきれない思いが強いでしょうね。
久坂部:執筆のきっかけは、同内容の新聞記事を読んだことでした。医師は「がん」を、未解明の部分も含めて医学的に理解していますが、患者さんは「頑張れば治るはず」「治るまでつらくても頑張る」と思いがちです。両者の認識の差は、なかなか埋まりません。それを書いてみたかったんです。私自身は医者なので、知人らには「医師の立場に肩入れしすぎだ」とよく言われるのですが……。
上:患者の思いは、とてもよく伝わってきました。最初は医師の言葉に憤慨して、民間療法などを転々としながら、ゆっくりとですが受容していく。作品のなかで、抗がん剤に関して、「つらい治療に歯を食いしばり、吐き気やだるさに耐えてきたのは、(中略)死ぬよりましだと思ったからだ」と患者の男性が吐露するくだりがありますね。
久坂部:日本人には我慢を美徳とする面があるでしょう。副作用の強い抗がん剤治療でも、根性論で頑張って、残された時間を結果的に無駄にしてしまう患者さんは少なくない、と常々疑問に思っていました。抗がん剤が効く確率や延命期間を正直に患者さんに伝えるのは難しいことです。シビアな数字は、がんと闘っている人にとっては、嫌な話でしょう。
上:そうですね。正直にいえば、現段階ではそこまでいいものとはいえない抗がん剤もあると考えています。分子標的薬など効果の期待が大きい抗がん剤もありますが、患者が少しの期間延命するだけという抗がん剤もあります。
久坂部:「がんは根治できる段階を過ぎれば、治らない」という事実を多くの人が知らない、ということも問題ですよね。抗がん剤は、がんの増殖を抑え込む薬であり、がんを治す薬ではない。患者さんにとっては、「治るかもしれない」という希望が生きる支えになっているので、医療者側も絶望的なことは言いづらい。結果、抗がん剤に対しての期待値が高すぎるのだと感じます。患者さんに聞いた話ですが、がんが進行して患者さんが最終的に亡くなったとき、ご家族が「医師が抗がん剤を変えたから、死んだ」「抗がん剤の使い方が悪かったから効果がなかった」という、事実ではない恨みを抱いているケースは少なくないようです。
上:理解の難しいところかもしれませんね。
久坂部:メディアも、「がんを克服した」とか、「奇跡の生還」とか、極端な事例を取り上げて「がんは治る」という幻想を煽るでしょう。気持ちはわかりますが、患者さんが時に悪質な民間療法に走る背景には、正しい知識が得られない、ということも大いにあると思います。正しい情報を得るには専門家が必要ですし、それを正確に伝えることに、メディアがもっと役割を果たしてもいいのでは。ところが、テレビ番組でも雑誌でも、健康がテーマになると、いい話しか出ませんね。因果関係が証明されていない場合も、効果が出たと思い込む人が多すぎます。
上:治療の過程や生活で大きな損害を受けるのであれば、話は別ですが、私自身は民間療法が終末期の患者さんにとって心の救いになるのであれば、必ずしも非難されることではないと思います。終末期の患者さんのニーズに現在の医療が応えきれていないということでしょう。
(構成/編集部・熊澤志保)
※AERA 2018年3月12日号より抜粋