人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「鎌倉という町」について。

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 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わって、鎌倉が人気だという。以前から小町通りなどは人が多くすれちがうのも大変だったが、一歩住宅地へ入ると、東京にはない穏やかさと静けさがあって、私も移り住みたいと思ったこともある。

 友人でそれを実現した人の話だと、満足しているようだが「海が目の前にあるのに魚屋がないのが不満……」なのだそうだ。

 スーパーで魚を売ってはいても、いわゆる町中の魚屋さんがないということだろう。東京でも少なくはなったが、探せば見つからなくはない。私は広尾に住んでいるが、西麻布と広尾商店街に一軒ずつ存在する。

 いわゆるコンビニなど日常生活に便利なものが少ないからこそあの静けさが保たれているともいえるわけで、何をとるか、その人の好みにもよる。

 いっとき、鎌倉に毎日のように通ったことがあった。数十年前、評伝の『純愛 エセルと陸奥廣吉』を書いていたときのことである。

 明治期の外務大臣として著名な陸奥宗光の長男・廣吉がケンブリッジ大学留学中に下宿した家の娘・エセルと、二十年近くにわたる愛を貫き結婚。外交官を引退した後に鎌倉に家を建てた。二人は材木座に住んだので、そのあたりを調べて歩いたのだった。

 陸奥家の墓は、寿福寺にある。裏にまわって階段を登ると、鎌倉特有の谷戸があり、崖に囲まれて陸奥家の墓があった。宗光をはじめ、廣吉、エセルの墓もある。

 そこで手を合わせ、イギリスから遠く日本へ渡って若き日の愛を貫いたエセルに思いを馳せる。彼女は日本を愛し、鎌倉の寺々をめぐり、歴史を調べて一冊の本にした。

 陸奥家の墓よりさらに階段を登ったところに立札があり、「北条政子の墓」と書いてある。矢印に従っていくとまごうことなき尼将軍、北条政子の墓。

「鎌倉殿の13人」でも、源頼朝亡き後、幕府をまとめていたのは、実質的には執権である北条義時だが、精神的には政子がいたからこそ、バラバラにならずにすんだともいえる。

 私は大河ドラマがあまり好きでなく、熱心に見ないことが多いが、昨年のドラマは必ず見るようにしていた。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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