日本酒「獺祭」。山口県の山奥にある、旭酒造が造る銘柄の名前だ。今では、ニュースやネットで誰もが聞いたことのある有名な銘柄の1つだろう。
1990年に獺祭を発表した旭酒造は、今年の3月にニューヨークに新しい酒蔵を完成させ、旭酒造としては初めての海外生産に挑んでいる。会長である桜井博志はなぜ、ニューヨークを目指したのか……視野に入れているアメリカマーケットや日本酒の未来について聞いた。
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獺祭の旭酒造がアメリカ・ニューヨーク州に建設していた酒蔵が完成した。これにより旭酒造はアメリカ、そして世界への進出をさらに一歩進めた。
「お陰様で、3/20の10時半過ぎにニューヨークJFK空港に到着しました。そのままハイドパークに移動し、ニューヨーク移住第一日が始まったのです」(旭酒造のホームページ掲載の「蔵元日記vol.540【アメリカ第一報】」より)。こうして桜井さんと旭酒造は着々と本格稼働モードへと道を歩み始めた。
旭酒造は1948年に山口県岩国市に設立した酒蔵で、かつては「旭富士」という普通酒を製造販売していた。しかし、80年代に入ると売上は急下降し、先が見えない経営状況に陥っていた。
1984年、旭酒造を継いだその当時、当たり前のように行われていたダンピングや抱き合わせ販売から脱却し、新たな道を模索。酒を紙パックに入れて販売するなどでしのいだが、一時的なものだった。「旨い酒で勝負する」、そう桜井さんは決断した。
■試行錯誤してやっと誕生した「獺祭」
「大吟醸をつくりたい」
杜氏に話した。しかし杜氏は造ったことがないという。ならば、学べばよいと吟醸酒造りのレポートをもとに試行錯誤して大吟醸を造りあげた。それが「獺祭」である。
獺祭は1990年に発売を開始。以来少しずつ認知度をあげ、日本酒ブームを牽引した。日本のみならず、2002年にアメリカ・ニューヨークへの輸出をスタートし、国内はもとより、海外での売上を拡大している。22年は165億円の売上のうち70億円が海外市場での売上となっている。