大竹淑恵さん=理化学研究所(埼玉県和光市)の自室のデスクの前で
大竹淑恵さん=理化学研究所(埼玉県和光市)の自室のデスクの前で
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 理化学研究所(理研)に勤める物理学者の大竹淑恵さんは、中性子(ニュートロン)という粒子を使って、橋や道路などのインフラの内部を「透視」する技術の開発をリードする研究者だ。自ら「遅咲き」という。30代後半から心身の不調に悩まされ、研究が軌道に乗ったのは50代に入ってから。60歳になって2度目の結婚に終止符を打ち、食生活を一新し、トレーニングにも励むようになった。これからも大好きな物理の研究を元気に続けたいからだ。今は仕事に、趣味に、充実した日々を送る。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

【写真】さすがリーダーの顔。勢ぞろいした理研中性子チーム

>>【前編:「遅咲き」の女性物理学者62歳 「心身がガタガタだった」30代後半からの十数年を越えて挑んだ新しい分野】から続く

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――小型の中性子線装置をつくるプロジェクトはいつ始まったのですか?

 2008年ぐらいから検討が始まりました。その前の2004年に私は肺塞栓を起こして死にかけたんです。そのとき「苦しい」と電話をかけたのが17歳年下のネットで知り合った男性で、すぐに彼が救急車を呼んで病院まで付いてきてくれたので死なずに済んだ。それで、彼と2度目の結婚をしました。事実婚でしたけど。

――ちょっと待ってください。1度目の結婚はいつでしょうか?

 早稲田の同学年の人と博士課程2年のとき。私は女子学院の出身で、早稲田の理工学部は男の子ばっかりだったので過ごしにくかった。入学早々に付き合う人ができて、大学生活がラクになりました。彼は建築史を専攻し、大学院から東京大学に進みました。美術のこととか、文学のこととか、たくさん教えてもらいました。

 2人とも学生のときに結婚したので、健康保険はお互いの親の保険でした。茨城高専に就職したのは、とりあえず健康保険を持てる身分を得なきゃと思ったこともあるんです。

――へえ~。

 就職したらすぐ夫を扶養家族にしました。だけど、向こうはどうも博士号を取らない様子。短大などで教えたりしていましたが、私が国際会議に行ったりすると、もうバランスが取れず、というか彼の精神的安定が得られず、家庭内がひどい状態になりました。

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相手が駄目になっちゃう