半世紀前に一世を風靡しながら、突然解散した「ローラーゲーム」の東京ボンバーズ。当時のスター選手で、その後も多くの人を明るくする道を歩んだのは小泉博さんだ。短期集中連載「日本を明るくした男」では、ノンフィクションライターの渡辺勘郎さんが彼の人生を追った。
【写真】ニューヨーク・タイムズにトップで載った「東京ボンバーズ」がこちら
* * *
かつての人気子役で、ローラーゲームのスターに駆け上がっていった小泉博。嬉々として「ボンバーズ時代のバトルシーンで最高の想い出」を語ると同時に、視聴率低迷でチームが突然解散して路頭に迷ったプロの厳しい現実を教えてくれた。
「僕がジャマーで大車輪で飛び出して、バックスケーティングしてガーッと行ったんです。ワーッとなったから僕への歓声かと思ったら、違いました。マイク・ギャモンが僕を、先に行かせてくれていた、ってことで、彼が集団から抜け出して僕を追いかけだしたから歓声が上がったんです。で、彼がすぐ後ろに来たのでターンブロックしたら、彼は避けずに受けてくれてポーンと飛んで、ひっくり返りました。やられた、って感じでね。やったー、と思ったけど、わずか1周半くらいで追いついてきて……もう一回見たら、いない……死角に入られて……そのあと思いっ切りブロックしたら今度は見事に避けられ、僕は勢い余って思いっ切りひっくり返りました。そこからは彼のショーが始まるわけです。
滑りの中でストーリーがあるんですよ。それを、いかにカッコよく、やるか、やられるか……技術を持った者同士が阿吽の呼吸で、どう表現できるか、なんです」
これは1974年アメリカ遠征中のMSG、マディソンスクエアガーデンでのニューヨーク・チーフス戦の一コマ。“ニューヨークの帝王”マイク・ギャモンとの想い出のシーンには、プロのマインドとスキルが凝縮されていたという。
「試合には負けましたが、翌日のニューヨーク・タイムズがトップで扱ってくれました」
かと思えば、こんなこともあった。同じ74年のアメリカ遠征中の対フィラデルフィア・ウォリアーズ戦。ボンバーズは竹刀を手にして入場した。テレビ収録の日は日米の対抗意識を煽るため、そんな“演出”があったのだ。すると相手チームのジム・トロッタが竹刀を奪い、それを持って登場……前半終了後の控室で小泉たちは、こんなシーンを目撃することになる。