ただ、東京12チャンネル(現テレビ東京)関係者に聞くと、視聴率低下の理由は他にもあり、事態は深刻だった。
「当時の12チャンネルの3大スポーツは他の局では見ることができないローラーゲームと女子プロレスとボウリングでした。しかしローラーゲームも女子プロレスも最高で15%を超えていた視聴率が落ちていき、各局が乱発気味に放送するようになったボウリングも視聴率は低下していきました」
三つとも、出ている選手がパターン化し、目新しさを求める視聴者ニーズに応えられなかったという。日米対抗と銘打ったローラーゲームは対戦相手がロサンゼルス・サンダーバード中心だったこともパターン化の一因だったとか。それと、おカネの問題もあった。
「不定期な放送の番組にはスポンサーが付きにくく、製作費が少ないんです。ローラーゲームの放映権料は最初はタダ同然だったようですが、人気が出て強気になっていき、だんだん要求額が増えていったようです。しかもオーナーのグリフィスは試合会場に日本武道館を指定してきました。収録試合をアメリカで売るときに、武道館でやった試合だから、と言いたかったのでしょうけど、こちらからすればコストが高くついてしまう……キツいですよ」(同局関係者)
にもかかわらず、視聴率はわずか2、3%にまで落ちてきていたという。
そして、75年のシーズンが終わったあと……小泉は、こう振り返る。
「11月はオフですが練習生のコーチをしてました。日当がもらえますからね。何だか雰囲気がおかしくて……12月になったら次の年の契約交渉が始まるはずなのに始まらず、年明けの興行の準備をしていた僕たちは、ある日、こう言われたんです。
■突然のクビ宣告 引退発表も禁止
『実は、来年3月の放送を最後に番組が打ち切られることになった。申し訳ないが、君たちと来年の契約はできない。1月の試合はワンマッチで10万円あげるからやってくれ』と。その興行が最後で『チームは解散し、スケーターもクビ』だと。