東京ボンバーズの試合のポスター
東京ボンバーズの試合のポスター

『ちょっと待ってください。僕は、もう出ません』と言うと、『お前、マッチレースをやるとテレビで言ってたじゃないか』と。9月24日の試合で、そう言っていたのは確かですが、そう言うように、という演出でした。

『引退します、と発表させてくれるなら、出ます』と言うと、『いいよ』。なのに当日、『引退は発表できない』。『マイクを渡さない』と。頭にきて、ずっとベンチに座ってました。だけど先輩たちに『ヒロシ、気持ちはわかるけど、ファンは、そんなこと知らないんだから出ろよ』と言われ、後半から出ました。悔しかった」

 東京ボンバーズは、15歳でデビューした小泉が18歳の春に消えた。

「最後の武道館の試合のあと2軍で興行したんですがうまくいかなくてね。スターがいないですもん。ヨーコさんと小泉の2人がいないと……無理なんです。ただの“ローラースケートがうまい集団”ですから」(ロニーT)

「ローラーゲーム協会って、実はグリフィスのカンパニーだったんです。ローラーゲームの元は、アメリカで百年近い歴史のあったローラーダービー。グリフィスは、そこからうまい選手だけ引き抜いてチームを作り、ローラーゲームという名前で商標登録し、試合を収録してテレビ局に売ってビジネス化したんです。ローラーゲーム全体が一人の所有物だったんですよ」(小泉)

 武道館での最後の試合後、ユニホームは全てアメリカに持っていかれたそうだ。

 突然路頭に迷う状況になった小泉。人目を避け、知り合いの仕事で開学間もない筑波大学の工事現場で約半年働き、その後、東京ボンバーズの先輩の働く会社で運転業務の社員として働きだした。

「ファンの子が、ローラーゲームがなくなって僕という存在を確認したくて、毎日、実家の八百屋の前に何十人も来られてて、そんな感じだから普通のお客さんが来づらくなっちゃって……店は、3年後に潰れました。親父とお袋には迷惑をかけました……」

(文中敬称略。次号へ続く)

週刊朝日  2023年3月3日号

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