![小島慶子(こじま・けいこ)/タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族のいるオーストラリアと日本との往復の日々。近著に小説『ホライズン』(文藝春秋)。最新刊は『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/2/5/497mw/img_257dfb6c056a0a3a60010811aedb13a049545.jpg)
![英国で別学といえば名門全寮制男子校「イートン・カレッジ」 (c)朝日新聞社](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/7/c/620mw/img_7cd1104d9b360a6c8225f0429706ad3834191.jpg)
タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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中高6年間、女子校育ちです。女子校では男子の存在を前提に自分のロールを考える必要がありません。ジェンダーを意識する習慣がないのです。ですから、人はみなそれぞれに得意なことをすればいい、と当然のように考えていました。
私が通っていた当時の学習院女子中・高等科では(30年前のことで現状は知りませんが)、いわゆるお嬢様学校という世間のイメージに反して、コミュニケーションの使い分けと自主性を重んじる現実的な気風がありました。
相手が誰であろうとリスペクトする態度を変えないこと、最もやんごとない場所から最もざっくばらんな場所まで、どのような場所でもその場にふさわしい言葉遣いやマナーを使い分けられるようにしておくこと(つまり仲間内では別にがらっぱちでも構わない)、何が正解かは自分で考えろ、というものです。いわゆる良妻賢母的な教育は行われていませんでした。
生徒を叱る時に「お前ら学習院やめなー」と言う名物おばあちゃん先生がいました。で「何が学習院らしいかは自分で考えな」と。パーマのかかった白髪のショートカット、ヘビースモーカーで、声もガラガラ。問題児だった私は何度も叱られたけれど、先生は反抗してばかりのひねくれ者を決して見捨てませんでした。
画一的な人間像を押し付けるのではなく、自分で考えることを促す教育は、結果として生徒の胸の内に「私は人から言われなくても、自分で自分のルールを決めることができるのだ」という矜持を育んだように思います。熱心だけど変わり者の先生が多かったのも良かった。大人って不完全で愛すべきものだな、ってわかったから。一番好きな教科は、生物でした。二人の先生は、私に命の尊厳を教えてくれた一生の恩人です。
思春期の鬱屈、自律と自立、内省の煩悶、そして他者への眼差し。実に濃密な学びを得た6年間でした。
※AERA 2017年11月6日号
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