僕は農家の長男ですが母は教師で、最先端の教育学を学んでいたこともあり、「情操教育」と言っては、絵を描いたり習字をしたりするのを応援してくれました。きょうだいの習字や陶芸はプロ並み。僕は描くのは得意じゃありませんが、絵を集めて美術館をつくっています。

 高校時代はクロスカントリーに明け暮れました。土曜日に学校から帰ってきたらスキーを担いで山に登り、日曜日の夕方暗くなってから帰宅する日々。僕はスキーをやってなかったらノーベル賞なんてなかったろうなと思います。スキーで学んだのは、高いレベルの中に自分を置かないとダメだということ。そして、人まねはダメだということ。研究も同じで、教わるだけだと伸びません。指導する立場になってからはチームプレーの経験も役に立っています。

 大学を受験する気になったのは、高校3年の5月ごろ。受験勉強は全くしていなかったけれど、農業では短期間に集中して作業をすることが多く、いつも手伝っていたので集中力はあった。当時は一日3、4時間しか眠らなかったんじゃないかな。進学クラスではなかったから、クラスで国立大に受かったのは僕ともう一人くらいでした。

 大学時代に2人の恩師に出会いました。一人は油脂化学の先生で、研究室に行けばいつでも実験できるようにしておいてくれた。もう一人は地質学の先生で、よく山への地質調査に連れていってくれた。道々、「どの大学を出たとか、何を勉強したかは関係ない。ただ卒業後5年間はがんばれ。そうすればものになる」と。そこで卒業後5年間、夜間高校の教師をしながら懸命に勉強しました。それが良かったんです。(構成 編集部・市岡ひかり

AERA 2017年10月16日号より抜粋

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