そうした生来の実力で、デビューから数年つづいたキワモノ的“美空ひばりブーム”を克服する。その決定打が、昭和27年7月発売の「リンゴ追分」のヒットだった。
この歌は、開局したての放送局、ラジオ東京(現・TBS)が記念番組として放送した連続ラジオドラマ「リンゴ園の少女」の挿入歌としてつくられたものである。ちなみに、放送の1週間後、NHKは同じ時間帯に新番組「君の名は」をぶつけてきたが、美空ひばり主演のこの「リンゴ園の少女」は健闘した。
このときの「リンゴ追分」は、当時としては破格の70万枚を売り、戦後最大のヒット曲へと成長する。が、実はこの歌、レコード化された当初は「リンゴ園の少女」のB面曲だった。作曲した米山正夫によれば「短時間のうちに、お手軽につくった曲だったので、駄目だと思った」(上前淳一郎著『イカロスの翼・美空ひばり物語』文藝春秋)からだそうだ。
しかし、大衆は、「リンゴ追分」が漂わせる哀愁感にホロリと参った。それまで、食わず嫌いだった、彼女を黙殺してきた大人たちも、美空ひばりの歌に初めて酔い痴れた。そして、あの有名な「お岩木山のてっぺんを綿みてえな白い雲がポッカリポッカリ流れてゆき……」という台詞に、郷愁をかきたてられた。もっとも、この台詞も、最初からあったわけではない。長すぎる間奏を気にした美空ひばりが、レッスンの場にいた作詞家の小沢不二夫に頼み、その場でさらさらっと書き加えたものだった。
美空ひばりがこの歌を、ファンの前で初めて歌ったのは、歌舞伎座公演でだった。戦後、日本が独立を回復した講和条約発効の日、昭和27年4月28 日のことである。当時「流行歌手」が立てる場ではなかった格違いの歌舞伎座で、美空ひばりは生涯の代表曲を歌った。
美空ひばりは、マネジャーをはじめ、作曲家や作詞家らすぐれたスタッフに恵まれたスターだった。しかし、そうしたスターはいくらでもいる。彼女が非凡だったのは、彼らスタッフが要求した数倍の才能を発揮することで、芸能界の頂点へとのぼりつめたことだった。まさに実力でつかんだ女王の座。彼女はこの後、マスコミの攻撃に対して難攻不落のひばり王国を芸能界に築いていったのだった。
(文 生活・文化編集部 宮本治雄)