今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロさんが受賞した。この日系イギリス人作家の才能を高く評価し、AERAの連載コラムで3年前から2度にわたって受賞を予言していたのが、生物学者の福岡伸一さんだ。このうちAERA2015年4月6日号のコラムを再掲する。
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カズオ・イシグロの新作“The Buried Giant”が米国で出版された。臓器ドナーとして育てられる子どもたちの思いを静かに描いた傑作『わたしを離さないで』から10年ぶりの新作長編。期待はいやが上にも高まる。店頭に平積みされた本のカバーは青銅色。聖杯を取り囲む奇妙な金文様とタイトル文字。小口(紙の断裁面)は全部真っ黒。
物語の舞台は1500年前の英国。年老いた夫婦アクセルとベアトリスは村を追い出され、さすらいの旅に出る。そこにファンタジー的なモチーフ、精霊や鬼やドラゴンが現れる。これまでのイシグロの本とはあらゆる意味で異なった展開……。
ちょうどカズオ・イシグロ本人が、本のプロモーションのため、ニューヨークにやってきた。トークショーの会場は超満員。5歳のときに日本から英国に渡った彼は完璧な英語で話す。朗読のあと読者の質問に答える。「(日英)二つの文化の間で自分をどう位置づけていますか」「アイデンティティーの問題は私のテーマではない。昔はその問いがプレッシャーだったが今はそこから自由になっています」「語り手はどうやって決めるのですか」「小説の中でオーディションをやって決めます(笑)」「奥さんがダメ出ししたので一から書きなおしたというのは本当ですか」「はい」。どんな質問にも丁寧に答える。
読書界では早くも議論が起きている。なぜ中世なのか。なぜドラゴンなのか。夢か現実か分からない記述はだるい……でも舞台設定に惑わされてはならない。前作が、クローン問題や現代医療への批判として書かれた近未来小説のように見えてそうではなかったのと同じように、今回の物語も聖杯探求譚やアーサー王の伝奇物語ではない。一貫したイシグロのテーマは「記憶」である。私を私としてつなぎとめているのは危うい私の記憶だけだ。前作では個人的な記憶がその人の悲惨な運命をどう救済するかが描かれた。今作ではそれをさらに進化させ、社会が共通して抱えている――あるいは共通して忘れている――記憶の変容と意味が問われている。私はとてつもなく面白く読んだ。イシグロはいずれノーベル文学賞をとると思う。
※AERAオンライン限定記事