ユース時代から磨いた“阿吽の呼吸”で多くのゴールを演出したのが、G大阪の『二川孝広&大黒将志』だ。1980年5月4日生まれの大黒と1980年6月27日生まれの二川。2人揃って1999年にトップ昇格を果たすと、大黒が札幌にレンタル移籍した1年間を除いて2005年までともにプレー。普段から言葉数の少ない二川だったが、大黒の動きは「見なくても分かる」レベル。最前線で大黒がDFの裏に抜け出す瞬間、中盤の二川から必殺の浮き球スルーパスが発動し、大黒は2004年に20得点、2005年に16得点を挙げてブレイク。二川も「浪速のファンタジスタ」としての地位を確立させた。これまで多くの名選手を輩出してきたG大阪ユースだが、「オグリ&フタ」の“コンビ売り”は唯一無二。G大阪の2005年のリーグ初優勝を支えるとともに、ファンの記憶に残る名コンビだった。

 すっかり攻撃サッカーが定着している川崎では、『中村憲剛×ジュニーニョ』のホットラインに触れなければならない。中央大から2003年に入団した中村。その年にジュニーニョも来日。圧巻のスピードと優れたトラップ技術を武器にジュニーニョが1年目からJ2で得点を量産すると、中村も1年目から出場機会を得て連携を深めると、2年目に中村がトップ下からボランチにポジションを移して、2人の「縦」の関係性が顕著となったことでホットラインが開通。J1に昇格した2005年以降も破壊力は増し続け、中村のスルーパスにジュニーニョが抜け出す形で何度もゴールを奪った。最終的にジュニーニョは川崎で公式戦通算339試合に出場して208得点をマーク。その多くが、中村からのパスから生まれたものだった。

 森保一監督の下で3度のリーグ優勝(2012年、2013年、2015年)を果たした広島の『青山敏弘×佐藤寿人』の2人も非常に優れたコンビネーションを見せて幾度となくゴールを陥れた。J1、J2を含めた通算で歴代トップの220得点をマークした佐藤の武器は、一瞬の動き出しとピンポイントで合わせる技術。その「一瞬」を見逃さず、タイミングを合わせられることができたのが、ボランチの位置からピッチを広く見渡していた青山。お互いの特徴を把握した中で互いを求め合い、そして高め合いながら12年間に渡ってコンビを組み、広島の黄金期を支えた。佐藤が自らの引退会見で「ベストパートナーは青山敏弘以外に考えられない」と迷うことなく答えた姿が非常に印象的であり、納得だった。

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最近で記憶に残る“ホットライン”は?