小島慶子(こじま・けいこ)/タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族のいるオーストラリアと日本との往復の日々。近著に小説『ホライズン』(文藝春秋)。最新刊は『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)。
小島慶子(こじま・けいこ)/タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族のいるオーストラリアと日本との往復の日々。近著に小説『ホライズン』(文藝春秋)。最新刊は『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)。
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 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 私はオーストラリアが白豪主義という白人優位の政策をとっていた1972年に、商社勤務の父の赴任先である西オーストラリア州のパースで生まれ、3歳まで育ちました。当時のパース駐在の日本人は200人ほどだったとか。

 ちなみにオーストラリアには1800年代に入植して真珠の養殖などに従事した日本人たちの子孫である、日系オーストラリア人の方々がいます。その歴史はあまり広くは知られていません。日豪は人種政策や戦争など幾多の困難を経て、現在のような友好的な関係に至りました。

 母によると、白人ばかりの新生児室で唯一のアジア系の赤ん坊だった私は、泣き声がうるさいという理由で、7月の南半球の真冬の産院の廊下に出され、紫色になって凍えていたそうです。地元の小学校に通っていた姉は、ひどいいじめを受けていました。

 私が生まれた翌年の1973年に、白豪主義からアジアを視野に入れた多文化社会へと舵を切ったオーストラリア。それから40年あまり経った2014年に私はパースに教育移住しました。現在は欧州系、アジア系、中東系、アフリカ系など、様々な文化を持つ人が暮らしており、多様性がとても大切にされています。

 けれど苛烈な迫害を受けた先住民の人々との和解政策の課題は今なお大きく、中国系の移民増加への複雑な感情を口にする人もおり、昨年の選挙ではムスリムを敵視する極右政党が議席を獲得しました。多文化社会は不断の努力なしでは成り立たないことを実感します。

 移民社会の少数派として暮らしていると、米国の白人至上主義の動きは対岸の火事とは思えません。黄色人種である自分にも向けられているおぞましい暴力だからです。日本のネット上で白人至上主義やネオナチを他人事のように論評する人たちは、自分が何人であるかを忘れていられる“特殊な”環境にいることに気づいてほしいです。

AERA 2017年9月4日号