原発とメディア2 3・11 責任のありか 朝日新聞「原発とメディア」取材班 著(朝日新聞出版より7月5日発売予定)
3・11東日本大震災からはじまった、福島原発爆発事故は、いまだ収束されていない。このまごうかたなき、日本史を転換させる大事故について、すでにさまざまな記録や文学作品、映画、テレビドキュメンタリーがつくられ、これからも制作されるであろう。
新聞記事をまとめたものもまた多数発刊されている。なかでも朝日新聞の「プロメテウスの罠」(すでに4巻発行)と「原発とメディア」は、長期連載を敢行して、新聞社の底力をみせた。3・11前まで、そればかりか、3・11以後も新聞・テレビへの批判は強い。朝日新聞への苦情も多く、この二つの連載が、辛うじて朝日新聞への不満をガス抜きしている状態である。
3・11の前に、朝日新聞が連載した「戦争と新聞」で、自社の戦争責任を剔抉した意欲が、この原発事故前と事故後の報道点検となっている。原発事故直後の報道が「大本営発表」と強く批判されて、いまや読者の批判を無視した紙面づくりは、不可能になっている。メディア不信が、「ソーシャル・メディア」といわれる、ネットマガジンやインターネットテレビを拡大させつつある。
「ジャーナリズムは三度の敗北は、許されない」(『原発とメディア――新聞ジャーナリズム 2度目の敗北』上丸洋一、二〇一二年)という「決意」とともに連載が継続され、刊行されたのが、本書『原発とメディア2 3・11 責任のありか』である。「二度の敗北」とは、戦争報道と原発報道であり、新聞記者はその深甚なる反省によって、今後の取材と執筆をすすめるしかない。すでに歴史的な評価になった戦争報道とはちがって、この「決意」は、3・11以降を過ごしたいま、日々、日常の仕事で点検されなければならない。
第一巻の『原発とメディア』は、縮めていえば、「安全神話」を振りまいて促進された国策「日本の原子力政策」を批判しなかった、朝日新聞社内の自己点検だった。とするならば、第二巻は、第一巻のように、ひとりの記者によってではなく、八人の記者が、自分が関わっていたテーマを掘り下げる、という手法である。
個人的には自分でも取材していた、青森・下北半島と福井・若狭湾原発の歴史と人間模様を記述した箇所によって、追体験と整理ができてありがたかった。各章とも取材が徹底していて、相手(政府、電力各社)が取材に応じなくとも、いまあらためて取材に行くだけでも、推進側の野放図さのチェックになっているという確信を与えてくれる。以前ならノーコメントはほとんど記事にならなかったからだ。
事故後におこなった、電力各社幹部、政府、政治家、学者、官僚、裁判官への取材によって、秘密ばかりの「日本原発史」の大いなる空白を、ようやく少し埋める「通史」になり得た、との想いにさせられる。
わたしは、「原発は嘘とかねと暴力で推進されてきた」と主張し続けてきたのだが、八人の記者の仕事はその事実を具体的に明らかにして論証的だ。いままで電力会社と官僚は、「事故隠し」、「虚偽報告」を専らとして、最も重大な、福島事故でさえ、「炉心溶融」を「燃料棒の損傷」と「言い換え」、隠蔽してきた。それが犯罪行為として、追及されることがなかった。
「司法」は原発建設の歯止めにならず、裁判所も国策に従属していただけ。記者もまた原発裁判は、「長く難解な法廷闘争の末、退けられるもの」としか見ず、「十分に報道してこなかった」との反省がある。「泣く子と地頭には勝てない裁判だった」。教科書ばかりかさまざまな原発推進教育があった。その検証も意味が大きい。
出色なのは第六章の「マネー」で、かねにまつわる話が、キチンと押さえられている。わたしは原発を「金子力発電」などといって、かねが推進力といってきたのだが、各地につぎ込まれた原発マネーの総額を計算できなかった。
東電の二〇一一年度の「広告宣伝費」(普及開発関係費)が、二百六十九億円とは、報道されていたが、電力十社の七〇年から一一年までの総額は、二兆四千百七十九億円にも達している。これらの買収工作費から、各社の論説委員たちも、それぞれ宛てがい扶持をもらっていた。
新聞が原発を批判できなかったわけだ。自社の幹部もふくめて暴いた勇気には、頭が下がる。が、それだけ罪が大きかったのだ。この報告で、もっとも沈痛な記述は、第八章「3・11後」である。
政府発表の「ただちに人体に影響はない」を連日報道して、住民の避難を遅らせながら、自分たちは三十キロ圏外にいた。現地に行かないで、電話で取材していた。この行為をどう、自分たちで裁断するのか。「危険地域」と「危険でない地域」。この二重基準は、新聞史上の汚点である。